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Silver Bullets Association (テクノロジー犯罪対策)

テクノロジー犯罪及び集団ストーカー撲滅のためのブログです。 立ち上がった被害者と非被害者の一人一人が、この悪魔にとどめをさす銀の弾丸であると信じています。

イノベーションが起きない!(教育改革) 

こんにちは。
ここ一月程度あまりにも忙しすぎて仕事しかしていませんでしたが
今日少し時間できましたので久しぶりに記事を書きます。
気づいたら参議院選挙前ですので、
「市民のための政策」の続きを今回は書きます。
といっても記事の大部分は結構以前に書いておいたものです。

また、STOPエレクトロニック・ハラスメントの勉強会を
近くに開きたいと考えていますが、これは日程をもう少し検討させてください。

第1回「劇場型政策決定システム」http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-91.html  
第2回「税と社会保障(前)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-92.html   
第3回「税と社会保障(後)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-93.html 
第4回「安全保障政策(前)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-101.html
第5回「安全保障政策(中)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-102.html
第6回「安全保障政策(後)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-103.html
第7回「経済政策(1)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-107.html
第8回「経済政策(2) http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-109.html


イノベーションが起きない!(教育改革) 

「市民による市民のための政治」の第9回、経済政策(3)生産性の拡大②です。
前回は、社会の生産性を上げる方法として
需要拡大や、日本の組織の硬直性について考えました。
今回はイノベーションについて見ます。

イノベーションはどうやって起きるのか?

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2009/17/news045.html 
上の記事はアベノミクスの分析ですが、ご覧いただくとわかることは
・経済成長をある程度しても(0.9%)、先進国の平均成長(2%程度)より低いので
 輸入品等の物価高を通じて生活実感はマイナス成長
・見かけの業績がよくなっているのは円安、法人税減税の結果
輸出は数量ベースで成長していない。だから企業は賃上げをしない。
ということのようです。
円安が進んでいる現在、実感を持ち易いのではないかと思います。

日本人も国際市場で競争を行っており、
新興国が技術的にキャッチアップしてくるので
日本が先進国の中でもより競争力がある状態を維持したいなら
人件費の安い国に代替されないような価値ある財・サービスを
継続的に生み出し続けなければならないでしょう。

つまり、イノベーションが必要です。
イノベーションとは新しいアイデアによる、
商品やサービスやビジネスの仕方の刷新です。

かつて様々な家電や小型省エネ自動車、ソニーのウォークマン
ファミコンなど新しい商品を生み出し市場を開拓した日本人が
近年あまり新たなイノベーションを起こせず
GAFAを生み出した米国などと比べて国を牽引する企業が生れていないなど
新しいものが生みだせていないとしばしば指摘されることがあります。

ところで、イノベーションとはどのようにして起きるのでしょうか?

考えるに一つの形は、
① 研究費と時間とをかけて最先端の技術を開発し
その新技術を応用するという、
「科学技術によるイノベーション」です。
例えば、新しく開発した素材を製品化する、などです。

特に、高度な技術そのもの研究開発による商品、
例えば「新素材による新製品」は「新しいワクチン開発」などは
研究のための投入資源が多ければ多いほど実現可能性が高いでしょうから
その成功は、資金力と環境に大きく依存しているのでしょう。
優秀な人たちを集め、開発のための環境を与えるということです。

②また、「必要は発明の母」と言いますが、
 何が役に立つのか、何が面白いのか、何があって欲しいのか
社会的ニーズを突き詰めることで新しい財・サービスは生れるでしょう。
マイクロソフトのオフィスのソフトも
フェイスブックも、グーグル検索も皆きっとそうです。

IT分野に限らず、こんなものがあったらいいねという発想から始まり
それを作って実際に試し、改良し、ということを延々と続けていくわけです。

ちなみに、とりあえず何が売れそうか、少しブレーンストーミングしてみます

・世界AR旅行:
現実世界を再現した解説付きVR」を観光地を中心に作る。
観光地、美術館、小売り店、などと提携。
ARでお土産などバーチャル購入して配送 
AIや現地の人とトラベルアドバイザーの案内オプション
現地の人とのVR会話。AR上の土地や家屋の購入。

・墓リゾート:都心の高価な永代供養より、
田舎に広々カスタマイズの墓の集積地を作り
法話つきバーチャル墓参り配信や、
リアル墓参り用に、ショッピング・アトラクションを設けブランドを確立

・終活個人伝記の作成
ビデオ編集、ウェッブサイト、オンライン・オフラインリ物品展示等で
誰でも閲覧できる、人生の軌跡と後世へのメッセージ作の成支援。

・パーソナルカウンセラー
 高収入子育て世代(特に片親など)を中心に、子供に対して1人のカウンセラーを契約
 オンラインで相談・助言(キャリア、学業、対人、身の上、物品購入、医療etc..)
 各分野の専門家がカウンセラーをサポート。

・「栄養士の監修する健康食堂」
栄養と安全をプライオリティにメニュを考えた外食チェーン
毎日外食する、家で食べるよりむしろ健康
月替わりの献立を公表して予約中心

…何が書いてあるかよくわからないかもしれませんね。
これらはイノベーションではなく
わたしが今瞬間的にもやもやっと考えたビジネスアイデアです。

こういうガラクタ的アイデアなら誰でも思いつくと思いますが
それが、技術的、経済的に実現可能なものであるかを精査し
実際に企画し、必要な技術やシステム、そして商品やサービスを開発し
市場に出して反応を見て、軌道を修正させながら拡大させていく
その長いプロセスの中に、本当の労力と資金などが必要なはずです。

その中には、最新技術により支えられる新サービスも多いでしょう。
近年は情報技術から様々なサービスが生まれました。
今後は、AIや使ったビッグデータの分析
VRやロボットなどとビジネスアイデアを組み合わせることにより、
様々なサービスが提案されていくのかもしれません。

③ビジネスプロセスのイノベーション
つまり同じことをもっと効率化、自動化できないかという発想です。
身近なところではレジの自動化(自分でバーコードを読み取って袋づめする)とか
ウーバーのような、時間の空いている人が輸送するとか、そういうことですね。

小売りのアマゾンが典型ですが、
オンラインで代替できるものはどんどんしていくことで
利便性を挙げつつコストも下げていくという
小売りに限らず、全産業的な流れがあると思います。

単に効率的、コストカットに留まらず
例えば、アパレル業界でGAPとかZARA、ユニクロみたいな
ファストファッションは製造から販売までを自社で行い
魅力的商品価格で提供している、と言う話は有名ですね。
(ファストファッションの環境問題への影響もありますが…)

あるいは台湾の半導体メーカーのTSMCが
半導体の設計から最終製造に至る中の一部の工程のみに特化し
高度な技術で大きなシェアを占めるようになった
というような話も聞いたことがあります。

DXというのも、単にコストカットという以上に
新しいサービスを生み出す、という考えであると思います。

このビジネスプロセスのイノベーションも②同様
その発想を支える企画を育て、システムなどを作り
実行、拡大していく、トライアル&エラーの積み重ねですね。

そして同様にビジネスプロセスのイノベーションも技術開発と切り離せないことが多いでしょうから、
①~③は相互に関連していると言えます。
(自動運転技術をベースに、車内で手の空いたドライバーに提供する新サービスとか?)

逆に、最新技術もまた、学術的興味から研究していて偶然に生まれるというよりは
社会のニーズに合わせて開発する部分が大きいでしょう。

それで結局のところ、何がイノベーションを生み出すのかと言えば
そういったイノベーションを生み出す過程の全ては
「高度に知的な作業の継続」とまとめられるのではないかと思います。

だから、イノベイティブな企業は
相当の資金を、そのようなことのできる人材の確保に投資しているはずです。
研究開発ができる「人」に必要な「時間」と「環境」を提供することが
外部ができる支援の大部分ではないでしょうか。
十分な時間と資金があり、世界に開かれた環境があれば
邪魔さえしなければ、後はやれる人が勝手にやるでしょう。
 
①考え、試行錯誤することに十分な時間が与えられる。
②ある挑戦を実現化するための資金やその外の支援が得られる
③挑戦を促進し邪魔しない環境がある
(挑戦と多様性が認められ、よい形で競争にさらされていること)

これに対して政府が政策的にできることは何かと考えた時
①教育の改革と支援
②研究投資
③規制緩和と産業構造転換
などになるのではないかと思います。今回は①を中心に見ていきます。

(1)教育改革

教育をどう変えるかについては、議論が多岐にわたり過ぎており
ここでは絞って2点ほど、よく指摘されることについて考えてみましょう。

1.高等教育を誰でも受けやすいように公的に支援する
2.学校教育プログラムの改善

1ですが、教育、特に高等教育を望む人が誰でもが受けられるように
もっと公費で支えていくことが機会均等の観点から好ましいことについては
恐らく現在全野党が共通しており
機会均等だけでなく生産性の観点からもその理念自体は
政府、与党も否定できないのではないかと思います。
従って、教育に社会の資源が今後より注がれていくことには
違いないのではないかと思います。

お金がないと落ち着いて学べない
現状を確認してみましょう。

中等教育まではある程度無償化されています。
高校無償化(修学助成金)で年収900万程度までは授業料(11万くらい)が支給され
私立無償化で年収600万程度までは40万弱が支援されるようです。
加えて、住民税非課税世帯などの層には、
都道府県など自治体レベルで助成制度があるのではないかと思います。

それでも授業料以外にかかる様々な経費
学校が徴収する経費やそれ以外の雑費が負担になっていて
義務教育も完全には無償ではないという指摘があります。

するとどこまで(給食費、教材費etc..)、どの層まで(収入制限)を
公費負担の対象とすべきか、ということになりますが
それは税金の使い方であり、つまり社会合意が必要ですから
具体的ケースも用いて「見える化」して、
政治的に議論して、皆が納得できる公費支出の範囲の妥協点を探して欲しいです。

現在最も大きな家庭における教育の私費負担は、高等教育にかかる費用です。
これに対して、最近までは基本的には経済的に厳しい人は
自分で金を借りて卒業後に働いて返すという考え方でしたが
3年くらい前に、低収入層を対象にした税金による給付奨学金制度ができました。

この制度で誰がどのくらいもらえるかが
事業を請け負っているJASSOのHPの下の記事に書いてあります。
https://www.jasso.go.jp/shogakukin/about/kyufu/kingaku.html 

進学先が私立か公立か、大学か専門学校か、
自宅生か下宿かなどで支給額が分かれており
住民税非課税世帯の場合、
奨学金給付と学費の減額措置を合わせて、
平均的な大学の学費の大部分はカバーできるようです。

例えば、自宅から私立大学に通う場合ですと
授業料減額が70万+給付46万=116万です。
理系の大学の方が実験費のようなものも多いでしょうから
それでも足が少し出るくらいかもしれないですね。

表によると下宿の人にはさらに月約3.7万円給付金が出るようです。

もちろん他にもテキスト代とか、社交代、交通費など
実際に学生にかかる費用は色々あるでしょうから
もし、その自費支出分を家計で支えられず足りない分があれば
給付奨学金事業を請け負っているJASSOがもともと行っている
貸与の奨学金(無利子・低利子)を利用するとか
あるいは仕送りか、バイトするか、などになるのでしょう。

住民非課税世帯だけでなく、もう少し収入のある世帯でも
何割か給付を受けられ、目安は下のような感じのようです。

4人家族(両親・大学生・中学生)で
第一区分 : 住民税非課税世帯(年収270万円未満)…上限額を支援
第二区分 : 年収約300万円未満…上限額の2/3を支援
第三区分 : 年収約380万円未満…上限額の1/3を支援

これ以上の収入の場合、例えば貸与奨学金を使用してくださいということですね。

他にも世の中に奨学金と名のつくものは
大学や各種団体が提供するもなど世の中にたくさんあるでしょう。
しかし、それらは税金で給付が保障されているものと違い
一般に応募枠が限られ、優秀な人とか、条件に当てはまる人が応募し
誰もが利用できるわけではないでしょう。
これが現状です。

もう少し幅広い層、もしくは全体への公助を…

教育への公費負担を拡充することでは一致しているならば
後はどの程度、どのような内容で行うかの問題であろうと思います。
全額カバーできるならその方がいいですが、それは財源の問題であり
国民負担の問題ですので、「国民の納得感」が大切でしょう。

上で敢えて細かい金額をみたのは、その納得感のためですが、
数年前にできたこの給付奨学金(以前はそれすらなかった)では
住民税非課税世帯であれば、授業料減免と給付少額金と合わせて
国立大学でも私立でも授業料と入学費部分はかなりの部分がカバーできるようですが
よく指摘されているのは、支給をもっと上の所得層まで拡充すべきではないか、という事です。

仮に、4人家族(両親、大学生、中学生)がいるとして
この記事で勝手に引き上げた最低賃金時給1300円残業なしで、
片親がフルタイムで額面年250万程度稼ぎ、
もう片親は、子供が出かけている昼4時間週4でバイトして100万(扶養控除内)稼ぎ
児童手当(中学生分)12万で合計362万円の収入の世帯を想定すると
この一家は第3区分で3分の1の給付奨学金が得られる計算だと思います。

しかし、もし大学生がうっかり足りない分を補おうとバイトを頑張ったり
親が中学生の子の塾代を稼ぐためにパート時間を大きく増やすと、
簡単にこの区分を超えて、奨学金がなくなってしまう可能性があるでしょう。

仮に、この家の大学生が自宅から通う私立大学の学生だと
第3区分の授業料減額23万+支給費年額15万3600円=年間約38万が公費負担です。

大学での活動費が授業料+実習費とか施設料+テキスト代+交通費+その他交際費など諸経費を含めて
仮に140万円程度はかかるとすると
年間100万円程度は、自費で工面する必要がありますね。

さて収入362万円の手取りが300万くらいとすると
生活費等で4人で幾らかかるかわかりませんが、250万円は必要と仮定して
残りの50万円を丸々この大学生の学費にあてたとしても
足りない50万を毎年借り続けると、4年で卒業した時
それでも200万円の借金がある状態になります。

もちろん、家庭に貯金があれば、それを教育費に使えます。
奨学金給付の資産要件は
共働き家庭で2000万円以下、1人では1250万以下とありますので
子供が大学生になる前にこつこつ進学のためのお金を貯めて
その貯金を崩しながらやっていくのが一般的なやり方でしょう。

しかし現在、ほとんど貯蓄がない世帯も相当あるのが日本の現実です
https://the-owner.jp/archives/8390

結局、これは奨学金に限らないのですが
日本政府は財政支出を減らしたいために
公的な援助に関して「本当にすごく厳しい人のみ」を助ける
という理念でやっているのではないかと思います。
教育支出を「コスト」ととらえているのですね。

ですのでで、中には諸々を考えて
本当は高等教育を受けたいけれど、負担を考えて敢えて断念する
という人も出てくるのだと思います。

一方で、今の私たちの議論に戻ると、いかに財政支出を節約するかではなく
「生産性を上げる」「イノベーションを起こす」支援ということです。

「投資」というのは、注いだ資源以上のものが
いずれ戻ってくることを期待する考えですので
そうであれば「積極的に人に投資し、ポテンシャルを最大化する」
というポジティブな姿勢で教育支出をとらえ直す必要が、
少子高齢化の現在必要なのではないでしょうか。

学費のための借金するのも、借金もできないよりはましですが、
ある程度心にゆとりがないと、物を考え、学業に専念しにくいとも思います。
ただ単位をとって大学を卒業するだけならともかく、
国民の生産性を本当に上げるには
クリエイティブ、イノベイティブに考えられる人たちを育てたいのですよね。

バイトに追われて学業に専念できない、
堅実に学業を行っていても経済的理由で進学を断念する人がいる
教育費負担から少子化が進む、
そんな状態では恐らくまずいわけです。

一方で、教育費の公費負担拡充を政治的に実現するには 
多くの国民が「まあこのくらいまで、この使い方なら公費で出してもいい」
という納得できる形が示され、合意されないと
元々財政支出を抑制したい政府を動かすのは難しいと思います。
その社会合意を作ることが政治家の本当の仕事ではないでしょうか。

一つの考え方は、給付奨学金のカバーできる収入範囲を広げていくことでしょうか。
その場合、様々な家計のケースを用いて「見える化」し
どのくらいなら妥当か、しっかり議論するのがよいと思います。

もう一つは、積極的に教育投資を通して生産性を上げ国民生活を豊かにしたいなら
家計収入に関わらす公費助成する、という考えです。

その場合は日本の高等教育機関の設立主体の状況を考えれば
公立大学の学生だけ支援する根拠も薄いのではないかと私は思います。

一方で学費の安いヨーロッパでも公立だけでなく私学も含めて全て無料(公費負担)
という国もあまりないようです。
下は、OECDの調査による公立私立の大学の学費が載っています。
http://www.garbagenews.net/archives/2400013.html

例えば、一つの案ですが
・全ての高等教育機関に通う人(大学・大学院・専門学校。科目履修生含む)に対して、
年齢問わず、一律年間30万円(あるいは40万、50万でも国民合意が得られればいいと思いますが)
の学費を助成するというのはどうでしょうか?

ただし、通信制や科目履修生は学費が安い場合がありますので、
例えば
・学費が年額60万以下は半額まで助成、それ以上は30万
・現在の低収入層向け給付支給奨学金は維持(全額給付は重複分を考えて減額してもいい)

このようにすると
国公立大学の授業料の安さの利点を生かしつつ
設立主体や学校種別に関わらず公平に教育費の公費助成ができます。
給付奨学金を残すことで、低所得層に対する全額に給付奨学金が、
現在よりある程度広い層に対して適用されるのと同じことになります。

さらに、大学院生、科目履修生も含めることで
前回のワークシェアリングの部分で触れましたが
公共職業訓練ではカバーできない範囲のリカレント教育を幾らかは財政的に支援し
学びと労働のサイクルも促進することになるでしょう。

教育プログラム提供側も、多少「公費助成を考えて」学費を設定し直し
プログラムの質を改善することができるかもしれません。

文部科学省の統計を参考にすると
https://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2019/08/08/1419592_1.pdf 
大学生・大学院生290万人(国公立75万人+私立215万)、
専門学校60万人、短大10万 高専6万人
この中には科目履修生も含まれているようですので
約360万人×30万円=約1兆円の追加支出でカバーできることになります。
1人40万円助成であれば、1.4兆円くらいです。
支給は、学生数を報告すれば大学等側に振り込まれる形なら事務的にシンプルでしょう。

例えば先ほど計算した年収約360万円貯蓄なしの私立大学に進んだ4人家庭の場合
仮にこの30万円助成があると、卒業時の200万円の借金が80万円に減ります。
このくらいならば数年で返せるのではないでしょうか。(特に雇用保証があれば確実に)

リカレント教育、様々な世代の学び直しへの援助も含まれることで
子供のいない層や、若者からお年寄りまで広い層の納得感が得られ
政治的な合意が得やすいのではないかと思います。

一方で、学費の完全無償化ではなく私費負担もあることで
本当に学ぶモチベーションのある人だけが進学し
それにより財政支出を抑えることができると思います。

学生が集中して学べれば、その人たちが入社して業績に貢献し
高齢者世代の社会保障を支えてくれます。
この教育投資は日本社会の生産性と持続可能性を高め
幅広い層の利益になりますので、
財源としては前回述べた金融資産課税、
それができるまでは金融所得課税強化や富裕層向け所得税上げや
法人税の負担構造の是正など、余力のある層による負担で
この1兆円程度は拠出してもらえないでしょうか。

公費支援の社会合意には明確な根拠を

教育の公費支援に関しては、様々な段階の支援があり
幼稚園~高等教育のどの段階で支援しても、
基本的には最終的に同じ金額がその家庭のお財布に入るはずですが
高等教育が現在、一番私費負担が大きいにもかかわらず、
もし望む人すべてに対して高等教育を促進することが
生産性を高めることにつながると考えるなら
そこに資源を投入することは政策的な合理性があると思います。

学校制度の始まりを考えると、明治初期には
学校に通わせるより、家の手伝いをさせた方がいいといって
学制に反対があったと、歴史の授業で習いますね。
現在、資金的な問題から教育を諦める可能性が大きいのは高等教育です。

ところ今参議院選挙が公示されていますが、
殆ど全ての野党が高等教育の学費無償化を主張しているのをご存じですか?
それは、10年前のj状況を考えれば、驚くべき変化だと思います。

例えば維新の党は、教育無償化を憲法に書くように言っていましたね。
その無償化の財源がはっきりしていないと批判していた立憲民主党も
無償化政策を発表し https://cdp-japan.jp/news/20220426_3573
その財源は、教育国債で出すという考えのようです。

教育国債(=赤字国債)というのは、元々国民民主党が年5兆円の教育国債を
10年間計50兆円出すと主張していた記憶があります。
その時、では10年後以降どうするのか、と思いましたが
その国民民主党は、高校までの学費無償化と
大学の授業料減免というのが教育支援政策のようです。

その他、下のリンクによると
共産党も高等教育の学費を直ぐに半額にし、無償化を目指す主張のようです。
れいわ新選組も無償化を主張しているようです。
与党公明党は、年収590万程度までの家庭は無償化を目指すということのようです。
https://www.businessinsider.jp/post-244286

現実的には、私学も含めて「完全な学費無償化」は難しいのではないかと思います。
私立教育機関は、教育内容充実などの理由で
学費自体をアメリカみたいに年200万円でも300万円にでも上げられるでしょうから
全てカバーすることは不可能かつ不公平で、限度額が必要でしょう。

また、高等教育の学費が完全無償であれば、退職して時間のある高齢者がどっと入学し
学生の数が倍増するかもしれないですね。(すると支出も倍増する)
そういったことをあらかじめ予測するのも政策立案だと思います。

別に、だから駄目だということではなく、
それはそれでセカンドライフの新しい形として
日本独自の高齢者文化が育っていくかもしれないし
そこから、社会へのベネフィットの還元もあるかもしれない。

しかし要は、その負担を国民が社会的にする気があるのか、
そしてその負担をどのように分担するのかということです。
言葉はタダですので、無償化しますと言うのは簡単です。

確かに一般論として、恐らく高等教育の学費を無償化すれば
学生の金銭的負担がなくなり、
時間的金銭的なリソースを、学業、研究やビジネスも含めて様々な活動に注げるので
イノベーションや生産性の向上に寄与するのではないかと思います。

一方で、全て負担は国民がするわけですから、
その負担に対する社会合意が必要でしょう。
財源が何なのか?
例えば、教育国債というのはつまり赤字国債ですので
いずれ償却するのでしょうから、その償却の財源をどう見込んでいるのか?
その教育国債の償還も組み入れ、さらに他の政策による収支の変更も組みいれ
アバウトでもいいので、その政党の将来の財政予測のシミュレーションを
提示する必要があるのではないでしょうか。

本来政策というのは金だけの話だけではないと思いますが
とにかく金の話しならば、それについて見てみましょう。

下は令和3年度の財政予算の構成
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/a02.htm
下には財政収支の推移が載っています
https://ecodb.net/country/JP/imf_ggxcnl.html

一番上のR3の予算で約44兆円の国債による収入に対し、
国債償還は約15兆で
差し引き、30兆円弱が積みあがる分でしょうか。
約1000兆円の国債を平均した利払は8.5兆円のようです(全体の利率で0.9%くらい)

ここ数年は新型コロナの影響がある非常予算なので、
2個目のリンクの真ん中あたりにある表を見ると
コロナ前の2019年で礎的財政収支(PB)は約13兆円のマイナスです。
この数字自体、さらにそれ以前の時期のPBの数値を見ると
大分抑えてこの数字になっていることがわかります。

細かいことは色々ありますが、相当ざっくりとみると
この元々のPBのマイナス+利払い費+今はコロナ対策費によるさらなるマイナスが
国債発行の積み上げになっている、という形になりますね。

するとコロナ対策費部分を引いても、PBと利払いで20兆円を超えますので、
対GDP比で、現在の日本の経済成長率を上回る国債の増加率に思えます。
利払いに関しては、元本がある程度積みあがっても現在の利率が低いですので
「利率が上がらない限り」そう増えないのではないかと思います。

国債のリスクに関するとらえ方は諸説あるのは承知しています
国有資産を売却したり、その時その時で、数字を抑える方法も色々あるのでしょう
ですから赤字があるので財政支出拡大ができないということではなく
支出を拡大する際の、自党の財政シミュレーションや財政に対するとらえ方を
有権者にわかるように説明する責任があると思います。

長々わかりにくいことを書いていますが、言いたいことは
例えば高等教育の学費、あるいは教育に関わる費用の無償化は1つの考えだと思いますが
選挙を意識して言うという発想ではなく、
「本当に現実化させるつもり」ならば、
財政的にも機能するシステムとして全体的な説明が欲しいと有権者は思うでしょう。
教育は10年後も100年後も続きますので
その中で増税が必要なら、それも説明する責任があるでしょう。

簡単な話、政府支出を大幅に増やしたいなら恐らくいずれ増税するしかなく
もし増税するなら、どのタイミングでどの層からどの程度徴税するのか
それをはっきり言わないから、全てが曖昧に感じられるのではないかと思います。

増税の形と、また国債で賄う分にしても、
ではその償却の財源をどうするのか
また、どの程度までどんな条件ならは政府の国債残高や利払は問題ないと考えるのか
将来の経済拡大による税収増を見込んでいるとして、それはどの程度なのか、その根拠は

もちろん、全て予想通りに行くはずはないのは誰も理解していますが、
何の見通しも示せないし、示さないとなると
やはり不安と曖昧さと現実味のなさを与えるか
あるいは政策がそもそもただのスローガンに聞えるてしまうかもしれません

しかし有権者もスローガン政治には飽きていて、
あくまでも現実化可能な政策を求めていると思います。
だから、「教育を無償化します」という子供でも言える言葉自体は出発点にすぎず
十分に投票の判断の材料にはならず
政治家の本当の仕事は本来「そこから始まり」
その仕事によるリアリティを有権者は評価するのではないかと私は感じます。

何故かメディア人はそういった政策の詳しい内容は記者会見などでは質問せず
選挙の話しか基本的に興味がないのか
どうせ実現しないので詳しく聞く意味がないと思っているのかわかりませんが
本来政策内容を突っ込んで質問するのが社会的に生産性のある取材だと思います。
(それによって読者・視聴者が考え始めるし、政策自体が洗練され現実味が増す)
そして、選挙スローガンではなく実現できる政策の形を辛抱強く作り上げ提示し
社会合意を得ることで政治的な力を生み出すのが政治家の生産性だと私は思います。

これは教育政策にかかわらず、エネルギー政策でも、社会保障政策でもそうですが
現実性に関する異論が強い時、あるいは政府とは違う主張をする時
「どうやったらそれができるのか」という説明が十分できてない間は
基本的にそれはマジョリティに「できない」もしくは「わからない」と思われている
と考えた方がいいのではないかと思います。(これはまた次回の産業構造転換で扱えればと思います)

しつこいようですが、そのまだ「よくわからない」状態でもその政策を支持してくれるのは、
基本的には「元々のその政党の支持者だけ」ではないかと思います。

ちなみに、自民党が国債発行よる軍事費の2%目標達成を目指しているらしい一方
野党の殆どが共通して国債発行なり他の財源によって
高等教育の無償化を目指しているならば
(一方の各野党の軍事費に対する考え方は様々と思いますが)
これはこれで本来わかりやすい選挙の争点となりうるポイントだと思います。
ある意味、子供にもわかる争点であり、子供に大きく関係する争点でもあるでしょう。

しかし、その争点を争点化するに足るだけの、
言葉に力や信頼性を候補者たちは与えられるのか、
それが鍵ではないかと思います。

少なくとも、与党にならないと政策の実現は一般的には難しいでしょうから
野党のままでいいけど、政治にちょっと緊張感を与えたい
みたいなことを言っているのでは失礼ですが論外ではないかと私は思います。

学校教育プログラムの改革

お金の話はここまでにして、2個目の学校教育の内容についてみましょう。
教育改革は実に様々な方が様々な視点から改善点を指摘しますので
ここでは、生産性を上げる経済政策から出発していますから
その側面を中心に考えてみます。

最もよく挙げられる問題が「知識詰め込み教育」ではないかと思います。
これは一つには集団授業という形に最も適した方法であること
また、大学入試などの試験制度と内容的にリンクしていることなどから
変えようと長年言っていても、中々変わっていないではないかと推測します。

知識詰込み教育がもし問題であるとしたら、その理由は恐らく、
学校教育を通して身に着ける内容と「社会で生きていくため」の力とが
ずれてしまうところが小さくないからではないでしょうか。

例えば、卒業して、将来働く時に、その学んだ内容に有効性がどのくらいあるのか
それが十分でないと、社会を豊かさや国際的な競争力にも
ネガティブに影響してくると思います。

日本の学校と生徒の特長
詰込み教育以外にも、色々と日本の学校の中の目立った特徴があるようです。
https://www.youtube.com/watch?v=OdcVvYoOFkA
こちらの動画では、様々な統計を使いながら、
国際比較の中で日本の教育の弱い部分を説明していますので
個々の指標の解釈は色々あり得ると思いますが、参考になると思います。

よくPISAという教育における国際調査の結果が参照されますが
理数系の理解力とか読解力に関するテストの点数は、
調査のたびに順位が上がったり下がったりしますが概ね高いようです。
そういう「点を取る」テストに関しては日本の学生は優秀ということです。
そういうものには慣れているし、知識もあるのでしょう。

ただし、幾つかよく言われる日本の学校の特徴(特に問題点)を挙げると
学生の側で見ると
・自己肯定感が低い
・何で学習するのか理由がよく納得できていない、学習満足度が低い
・授業、部活、塾、宿題と学校の活動でやたら忙しい
・ボランティアとか校外活動にあまり従事しない
教育提供側でみると
・一クラス当たりの生徒数が多すぎる
・教員が長時間労働
・ICT化が他の先進国に比較して遅れている、
・詰め込み型授業で、教育プログラムが古い
・選択科目が少ない
・キャリア教育が充実していない

また一つの特徴としては、みなさんの昔を思いだして欲しいですが、
私たちの多くが過ごしてきた
学級とかクラスというちょっと疑似家庭的なシステムがあり
それは恐らく世界的にみれば必ずしも一般的ではなく
長所短所あるのでしょうけれど、子供の成長に影響を及ぼしているのでしょう。

教育改革の話ですので、現状の短所に目を向けがちですが、
もちろん、何もかもが悪いということではなく
テストの点数が高いこと自体は、低いよりずっといいことです。

それ以外でも、例えば、日本の学生はボランティアの参加率が少ないと言う場合
一方で日本の学校では、たいてい教室とか時にはトイレでも自分で掃除しますね。

これはあまり一般化できる話ではないかもしれませんが、
例えば欧米から留学生が日本の学校にきた時、
学校は基本的に業者が掃除しているので、
何故自分で教室を掃除するのかわからない、
雑巾は汚いので触れない、そんな人もいると聞いたことがあります。
(日本の子供でもそういう人はいるのでしょうが…)

日本の子供からすれば、自分たちの使う部屋なり施設を掃除するのは当たり前で
「だって誰かが掃除しなきゃいけないでしょ、何であんただけさぼるの」
みたいな感じで教えられるわけです。
それはボランティア活動以前の、たぶんクラスとか学校といった
自分の所属する組織の一員としての役割とか仕事分担であり
実際、ある意味「やらされている」のでボランタリーではないですね。

掃除に関わらず「~係」みたいな形で様々な仕事をしたり
あるいは、同じクラスの人を仲間はずれにしてはいけない、のような他者配慮や
わが校の一員として恥ずかしいふるまいをするな、といった規範意識など
どちらかというと広く社会への参画や貢献というより
まず「りっぱな組織の一員としての勤めを果たすように
意識づける傾向が日本の学校教育にはあるのではなかという気がします。

全体的には、所属感、一体感のようなものを重視する文化なのでしょうか。
きっと仏教的と言うより儒教的ですね。
しかし、みんなが、それを好きなわけではないので、
きっと息苦しい人も少なくはないかもしれません。

しかし、良くも悪くも法律など作らなくても
コロナ感染が広がって死者が増えているなら、
マスクをつけるのは当たり前でしょう、何であんただけさぼるの
みんなちゃんとやってるでしょ、という感じになるのかもしれませんね。

ここで言いたいことは、
自国の教育文化を全否定しても仕方ないですので
自分の好き嫌いや立場ではなく、
出来るだけ客観的に見ていいところを伸ばし、まずい部分を直していくのが
改革に必要な姿勢ではないかと思います。

これは、あくまで全体的なアバウトな話です。
小学校から高校まで漫然と一体に想定しているので
各学校や、年齢などで、事情が大分違うでしょうからあまり正確でないですが、
概ねこういった内容が日本の学校教育の特徴として
挙げられるのではないかと思います。

何を学んだらよいのか?「生きるために学習する」

正確なたとえではないですが、教育というのは抽象化して言えば、
例えば原始人がナウマンゾウを倒して肉を食べて暮らしていたとすると
そのナウマンゾウの倒し方を学ぶとか
そのための石槍の作りかとか、肉を煮る土器の作り方とかを学んで
それで人間の分業体制の中で役割を担って「生きていけるようになる」
という事であると私は理解しています。

社会の仕組みを知るとか
世界の人と平和にやっていくとか
やりたいことを見つけて意欲的に幸せに生きるとか
そういったことも、「現代においてよく生きていけるようになる」ために
することに含まれている、という事だと思います。

そこで、今の社会で生きるために必要・有益なスキルと
学校で授業受け、テストを受け、受験勉強してせっせと覚えている内容との間に
ギャップができてしまっているので修正が必要である
という事なのでしょう。
学ぶ内容、学び方、そういう諸々を含めてです。

「基本は大人と同じことができるように学ぶ」

ではどんな内容を学ぶべきかと言えば
基本的には、ナウマンゾウを倒せるようになるためには、
本来、大人と一緒にナウマンゾウを倒しにいくのが一番いいのでしょう。

しかしその前に、ナウマンゾウに踏みつぶされないようにその動きを学んだり
ナウマンゾウに気づかれないで近づく方法などを座学したり
槍の使い方とか落とし穴の掘方を学んだり

あるいはいきなりナウマンゾウは危ないので
とりあえずイノシシを倒す練習から始めるとか
ステップアップ方式もあるかもしれないです。

とにかくそうやって、最終的にナウマンゾウを倒せるようになれば
結果的に必要な教育ができた、ということになります。

さらに賢い子供になれば
「この前お父さんは落とし穴を掘ってナウマンゾウを倒したけど
本当は、沼地に追い込んだ方が効率的に倒せると思うな」とか、
次の世代のイノベーションにつながっていくかもしれません。

しかし、ただ「新版ナウマンゾウの倒し方」というテキストを読んで
理解を確かめるための選択問題で100点をとれても
実際にゾウを倒せるようになったとは限らないですね。
テキストの試験に出そうなところ暗記しただけかもしれません。

従って、何が現代に必用なスキル(ナウマンゾウ)か、という内容
それができるようになったということはどういうことか、(到達点設定/評価)
それを実際に学習する時の、効果的効率的な学習方法などの点で、
現代にあわせた変化が必要になってくるのでしょう。

そのどれも難しいことではなく
実際に、こういうことをもっとやった方がいいよということは
世界中あらゆるところで幾らでも提案され、実践もされているでしょうから
いいところをとってその真似をしていけばいいだけだと思います。

プロジェクト型学習

例えば、中等教育レベルであれば、プロジェクト型の学習
つまり、ウェッブサイトを実際につくるとか
テーマを決めて科学的リサーチをして発表しエッセイにまとめるとか
疑似的にお店を経営してみる、あるいはビジネスプランを作って発表するとか
自分の住んでいる街の改善点を考えて市役所に提案するとか
「実際にやってみる」それを通じて学ぶという形があるでしょう。

探究学習(=研究)などと現在高校で呼ばれているものが
そういう側面があるのだと理解していますが
それだけでなく、物理とか地理とかの通常の教科学習でも、
例えば歴史のなら歴史の有る部分について調べてまとめて発表する
理数系科目でも、様々な実験や研究プロジェクトができるでしょう。
もともと何かができるようになるために、学んでいるのだと思います。

さらに、そのプロジェクトの個々のタスクをこなす中で
学習者は様々な実際的なことを考えて、
様々なスキルを身に着けるようになります。

例えば
・そもそも何をすべきか考える力=課題設定能力
(物事の重要性の優先順位や自分の興味、強みを知る)
・リサーチ能力、(ICT、資料の使い方)
・プレゼン能力
こういった中には、PCの基本的な使い方なども含まれてくるはずです。

またグループで活動すれば
・コミュニケーション能力やチームマネジメント力
・時間管理、タスク管理力、役割分担
そういった社会で必要なこともみんな含まれています。

また、外部の機関に聞き取りをしたりアンケートをとったり
フィールドワークも経験できるかしれない
・そうすれば例えばアポを取る際の最低限のマナーとか
・仕事でのメールの送り方なども学ぶことになりますし、
・学校以外の様々な社会の機関の役割を学ぶことになるでしょう。

そしてそういった個々のプロジェクトの遂行のためには、
・社会科学的、あるいは自然科学的、語学力など
つまり各教科で教わる基本的な知識やスキルが生かされ、
・そのことが目的を持った今後の学習のモチベーションにもつながる
そういったメカニズムであるのではないかと思います。

さらに、例えば企業だとか外部の団体とコラボして活動すれば
実社会でビジネス等のアイデアを企画実行する力が養えるでしょう。

あるいは、外部の同じような研究をしている学生と
組むこともできるかもしれない。
そうすれば、単に研究やプロジェクトが深まるだけでなく
交流を通じて違う地域の実情を学ぶことにもなります。
自分と他の2つの地域事情を比べられるだけで
子供にはよい学習になるでしょう。(異文化理解)

スキル的にも、例えばオンライン・オフラインの会議の仕方
グループウェアの使い方などを学ぶことになるかもしれません。
会議にただ参加するだけでなく、ホストすることも学べるでしょう。

もし外国の学生や団体とコラボしたいなら
その全てを英語で行うことになります。
そのためにはビジネス英語教室などで教えている
高度なスキルが必要に思えるかもしれませんが
例えば会話力が十分でなくても、
あいさつ程度のコミュニケーションをビデオ会話でして
大部分は、メールでやり取りすれば、
時間はかかるけど翻訳ソフトと辞書を使って
ある程度正確なやりとりができるのではないかと思います。

やり方は色々あって、そういった「何とかしていく力」をもった人材を
企業も社会も育てたいわけですよね。
大学生ならともかく中高生にそんなことできるのかと思うかもしれませんが
できないと思えばできないし、やればある程度はできる
あるいはできるようにしていくのが教育ではないでしょうか。

キャリア教育

キャリア教育の専門家が日本の学校にいないので
教員が片手間にやっていると指摘されることがありますが
これも職場体験、インターンシップ、ボランティア活動といった
「実際にやってみる」こと(体験)が有効なのでしょう。
しかしあまり力は入れられてないように聞きます。
そこに就職するならともかく、恐らく進学にあまり影響しないからでしょう。

しかし企業も、採用のための大学生のインターンシップとは別に
社会貢献の一つの形として、中等教育レベルの学生にも
積極的にインターシップや職場体験を提供してほしいと思います。

まず、働くということを早いうちに理解することは損ではありません。
例えば、介護施設など様々な現場で、数週間働くなどのプログラムでも
本気でそれを行なえば、学生のスキルとメンタル両方に
質的な変化をもたらすのではないかと思います。

職業の体験以外に有用ではないかと思えるのは
ある種の社会の仕組みについて、教科書的な学習法だけでなく
「実感を持って学ぶ」という事ではないかと感じます。

例えば現代における「ナウマンゾウ」の一つは「お金」だと思いますが
そうであればお金の仕組みを学ぶことは大切なはずです。

具体的には、
①会社などの事業体の経営の仕組みを大まかに学ぶ。
それが花屋でもコンサル会社でもいいですが
要は、資本を元に、人を雇ったりものを仕入れて
売って、賃金を払ったり、拡大させつつ事業を継続する、
という基本の仕組みですね

それが農業のような一次産業でも、公的セクターであっても
基本は同じ仕組みであると思います。
さらに人事とか企画とか営業とか、
組織の基本的な構成要素も知るべきでしょう。

そういった一般的なことは親から学ぶだろう、
と家庭教育力には期待しない方いいと思うのです。
農家の子、失業者の子、漫画家の子とか色々あって
家庭教育の内容も千差万別であろうと思います。
しかし「家庭環境であまり差がつかない教育」を行いたいわけですよね。

「文化資本・社会関係資本」という言葉が
教育格差の話でしばしば言われます。
これは、豊かな家庭ほどより本を読んで教養を身に着けるとか
家庭の持つ様々な人間関係を通じて、知見を広げたり、頼れたり、
文化的マナー(考え方とか)を身に着けたりするというような
金とは別に、社会階層に構造化された資本があります、という文脈で使われる用語です。

そういった社会的資本よる格差を縮小する方法の一つは
そのよい部分は、できるだけ公教育で積極的に全員に提供する
ということになるのではないでしょうか。

例えば、会社の仕組みとか、
そういうことを知っていると知らないとでは
「働く」という事に対するイメージの実感が大分違うと思います。
そして働くことに対するイメージの違いは、
学習の内容やモチベーションにも大きく影響します。

また、多くの人がいずれは組織に属して働くわけですが
企業側も、ただ言われた通り働く人ではなく
経営的視点を持って、自覚的に働く従業員が欲しいのですよね
社会全体で、起業家も増やしたいわけですよね。

中学生、高校生が起業しなくてもいいですが(してもいいですが)
例えば、疑似的な会社を作ってものを売ってみるとか
時々にニュースになっている学生のビジネスプランコンテスト的なものも
先進的生徒たちがやるだけでなく、もっと当たり前にしていいと思うのです。

企業活動のシミュレーションをするプログラムなどは
外国でもやっているので参考になると思います。

会社だけでなく、公的セクターとかNPO,協働組合とか
あるいは、フリーランスや派遣社員として働くこと、など
多様な組織形態や働き方について
おおまかに理解することも意義があると思います。

②家計の仕組みを学ぶ
様々な家庭があるので、きっと配慮は必要なのでしょうが
ケーススタディをもって、しっかり家計を学ぶことは
自分と家庭が機能する仕組みとそれを支えるために働く意義、
収支を通じた家庭と社会とのかかわり方などを知ることができるでしょう。

つまり、借家だとして、家賃に幾ら、光熱費に幾ら、
ケータイ代に幾ら、食費、医療費は幾ら、子供の教育費に幾ら
一方の収入は月々幾らで、その内保険は幾らでと
生きることにかかるお金と、その生々しい収支を学ぶということです。

それは、ギャンブルや浪費に対する注意とか
もっとまじめに学習しなくてはという意欲とか
そのような生活側面の教育にも資すると思います。

また、家計を学べば消費の内容、
つまり自分が何に金を払っているのかが理解できます。
それはカーボンニュートラルとか環境問題など
消費を通じた環境系への影響の理解にも繋がったり
産業社会と労働に対する理解にもつながるでしょう。
消費とは投票である、そんなことを言う人もいますね。

③一生のお金の動きを学ぶ(ライフプランニング)
これは②の時系列を組み入れたものですけれど
これによってやはり働いてお金を稼ぐということの意味
高等教育に幾らかかり、子育てや、老後にどのくらいかかり
だから自分が必要な分は稼ぐ必要がある、そのイメージが持てるでしょう。 
その一環で投資などについても学んでもいいかもしれません

こういったこと最低公教育で意識的に学んでおけば
生きるという事にかかる費用、という当たり前のことが理解でき
様々な理由で社会と距離を置く人も減っていくのではないかと思います。
要は最低限、必要な金を稼ぐことはどうしても必要なわけで
それを出来れば、自分の好きな仕事で稼ぎたいということがあり
その感覚を得ることは、その人の職業選択や人生設計に関わってくるでしょう。

①、②、③はつながっていて
それを子供が大学の学問レベルで学ぶ時間も必要もないですが
実感をもって大体わかった、というレベルで学ぶのは有益と思います。
その社会の仕組みの理解は、
その人の行動可能性を大きく広げ、将来の行動に影響するはずです。
現在は、そのように実感をもてる形で、
社会科の授業などではあまり教えていないのではないかと思います。

他にも、④税金や公的セクターの役割や政治参加の意味も、
実感の持てる形で時間をかけて教える意義があることだと思います。

投票年齢が下がり、主権者教育といって、例えば学校に仮設投票所を作って
投票の練習をしているようですが
別にそれはそれでいいですけど、紙に名前を書いて箱に入れるくらいは
実際に投票所に行けば誰でもわかりますので

例えば学校で、政党の実際の選挙公約を使って討論を行うとか
学校や生徒会、自治会の予算の一部を投票で決めて執行するとか
やはり実感持てる形で体験的に時間をかけて
政治的な活動や仕組みをシミュレーションする方が
政治意識を高めることに役立ち
その結果投票率も上げることになるのではないでしょうか。

公教育の中で時間をかけて実感をもって体験的に学ぶことができることの中には、
環境保全とか、社会参加意識とか、
途上国に対する視点とか、やろうと思えば幾らでもあるのでしょう。

この記事では主に労働生産性の最大化に焦点を当てているので
その点を中心に扱っていますが、
どんな「よい社会」を作りあげるにも、
賢く自分の頭で考えられる人間を、
時間をかけて育てなければならない事には変わりないです。

どうも日本の教育は、子供を出来るだけ子供として扱おうという部分が強い気がします。
しかし、これだけ知識が簡単に得られる時代では
「出来るだけ早く大人に」してあげた方がいい、
そのためには大人として扱った方がいいのではないかと私は思います。

STEM

現代のもう一つのナウマンゾウは
需要拡大の回で見た、国際市場にも通用する「技術等」であると思います。
分野としてはSTEM、つまり理工学分野での能力が
より高度な技術をベースに置いた社会で重要になるはずです。

「文系」などとかつて言われていた分野でも
多くのビジネスに科学技術が関わりますし(そもそも数学が必用)
法律でも、その他の様々な分野でも同様です。
ある程度科学技術を理解せずには何も理解できない
そのような社会になっていくのではないかと思います。

そして数学、理工学の学習においても「実際にやってみる」ということや
「それが社会でどのように利用できるか実感を持って学ぶ」ことが
教科書順に理論的学習をすることに加えて、重要なのだと思います

例えば現在、高等専門学校の役割が見直されていると聞きました。
下はそういった記事です。
https://toyokeizai.net/articles/-/306358

中学と高校を一つにした6年制の中等一貫学校がありますが
高等専門学校というのは、いわば高大一貫の技術者養成校で
中学を卒業した後に入り
高校の普通科教育に当たるような様々な内容も学びつつ
年次が上がっていくと、専門の技術の実習が多くなっていく
という技術者養成のコースで、昔からあるもののようです。

上の記事には、ほぼ就職率100パーセント(凄い!)
しかし進学したければ大学、大学院にも進める
ロボット技術を競うロボコンが有名だけれど、
その他にも各種産業系の大会がある
寮がたいてい設置されている、などと書かれています。

つまり、先に述べたような
「実際にやってみる教育」「キャリア教育」ということが
そろっている理工系の教育環境である、と言えるのかもしれません。

普通科の高校などでも科学教育に力を入れている学校はあるようですが
一部の学校ではなく、広く一般に、中学とか義務教育の段階から
実習を伴った理工学系の教育がもっと広まれば
機械製造などが元来日本人の得意分野なのですから
その部分がもっと伸びて、イノベーションも起きるのではないかと期待します。

また、研究者、技術者にならなくても
社会の様々な分野で科学技術と関わりながら仕事する上で
そういった知識と経験は役立つでしょう。
とにかく物事をシステマティックに考えられないと
通用しない時代になっているのではないでしょうか。
(AIとロボットとビッグデータを使用して世界相手に仕事する時代です)

https://readingmonkey.blog.fc2.com/blog-entry-625.html
こちらは職業に使用される数学の内容のリストが載っていて
記事も合わせて読んで欲しいですけれど
実際に相当の職業で計算はするとしても
高度な数学の使用は限られていることもわかります。
しかし、記事にもありますが、例えば弁護士でも
数学や理工学がわかるからテクノロジーに関する仕事をよりできる
というようなことがあると思います。

政治家こそもっと数・理工学についての理解を深めるべき
代表的な職業ではないかとも思います。

スクラップアンドビルド

学校教育でやった方がいいと思うことについて幾つか書きました。
それは実際に国内外あらゆるところで既に現在行われているでしょうし
また、他にもやった方がいいことは色々あるでしょう。

じゃあ、そういったことをするのには結局何が必要かというと、時間です。
ただでさえ、日本の学校の生徒はボランティアだとか、
学校外の活動に時間をあまりできないくらい忙しいようです。

今、学校の勉強や部活動、塾などに多くの時間を使っていて
現代のナウマンゾウを倒すという目的に合わせて
そのプライオリティを見直し、ある部分ではやることを減らして、
本当に必要なことをやるための時間をつくる事が
どうしても必要になってくるのではないでしょうか。

関係する人に失礼を承知で言えば
もし、詰め込み教育自体が社会に必要な能力からある程度ずれているなら
それを学校と塾で2度学ぶのは、相当の無駄を含んでいるかもしれません。
(もちろん役に立つことも学んでいると思いますが)

だからカリキュラムを見直し、必要な内容を定め、
これとこれをやる必要がある、となったら
逆にこれを削らざるをえない、ということを大胆にやるしかないでしょう。

時間は完全に有限な資源なのですから
やることを減らさない限りは増やさないくらいの感じです。
予算と同じで、必要だから増やせ増やせと言うだけなら簡単です。

様々な教科の授業数の配分を変えるのか、
授業数の配分が概ね同じならその内容を大きく変えるか
そのどちらかをしない限りは、
教育内容はあまり変わらないのではないでしょうか。

やることを削って時間を創るという事でいえば、日本の特徴かもしれませんが
なんでもかんでも皆同じ事をやる必要はないかもしれませんね。
例えば、殆ど全ての学校の全ての生徒が漏れなく同じ行事をしたり
修学旅行に行ったり、
というようなことを必ずしも皆がする必要がないかもしれません。
別の何か新しい教育活動を行うなら、
何かを減らすことがあってもいいのではないでしょうか。

地域によって、学校によって、個人の選択によって、
できることがもっと違って、選択の幅が広がってもいい。
それは社会では巡り巡って分業体制を通じて補えるわけです。

選択科目が少ない、というのも日本の教育で時々指摘されることがあると思います。
例えば、学校で演劇などのパフォーミングアートが選択できる国もあるようです。
自分を意識的に表現することを学ぶのは
引っ込み思案の人が多い国では、大変有益ではないかと思います。

例えば、時間が限られているならば、通年のコースだけでなく
半年などのコースがあってもいいかもしれませんね。
もちろんそうするためには、教育提供側の体制を変えていく必要があります。

現在のカリキュラムの科目などの内容は、義務教育部分は政府が決めていて
高校の科目は恐らく必修科目を除けば、多くの場合大学受験の科目など
進学や就職の内容とリンクして決定されているのでしょう。
ですから、その中で、皆が必ずやらなければいけないものを精選して、
各自が必要なことをもっと行う時間を作っていくことが必要なのでしょう。

時間を作るとことに加え、総合的にプログラムを組むことも大切でしょう。

例えば、様々なプロジェクト型の学習を
仮に高校一年くらいからは始めたいなら
リサーチして、研究や計算をして、発表して、文書などの形にするためには
できればその前までに、メールソフトやワープロやプレゼンソフト使い方
あるいは資料の扱い方など知っていると役立つでしょう。

そういった内容について、例えば少し昔であれば
大学の入学時にある程度オリエンテーションがあった気がします。
それは、大学でエッセイを書いたり、研究するのに最低限必要だからですね。
すると今度は、そういった汎用スキルを中学や高校の段階で
学んでおく機会を設定することになるというのが理屈でしょう。

例えば、そういった形で、それぞれの教科学習より更に広い視点で
到達点に向けて無理なく段階的にスキル等が習得できるように
合理的な全体的カリキュラムを組んでいかないと
学習が効率的で効果的なものにならないかもしれません。
それは、想像するに中々大変な作業であると思います。

本当にどのような力を育てたいかをよく考え、
必要があれば既存の教育内容を大胆に変えていくことになるでしょう。

教育を変えるために何が必要か

さて、ここからは、ようやく政策的に何ができるか、という話です。
まず、小学校~高校までは公立学校が多いですので、
その教育内容自体は、ある程度政策的に変えることが可能なはずです。
私学も含めて、文部科学省が決めている部分と
各学校の主体となる自治体の教育委員会がきめている部分と
それぞれの学校がきめている部分があると理解しています

本当は、市民それぞれが、特に子育て世代は、
教育内容に関心を持ち、声を上げ、参加していくことが大切だと思いますが
実際には時間も中々ないでしょうから、
例えば、首長と地方議員の役割も大きいと思います。
地方予算の少なくない部分が教育に使われているのですから
地方議員は自分の自治体の行う教育内容に責任感を持つべきだと思います。

繰り返しですが「何をやったらいいか」という事に関しては
今の時代調べれば直ぐに情報がえられると思います。
お雇い外国人を各国から招いて文明開化していた時代とは違い
教育に限らず、様々な国内外の事例や情報を直ぐにいくらでも知ることできます。

実際に、今まで書いてきたような様々な内容は恐らくみな、
文部科学省も、その他の色々な教育専門家も既に言っているはずで、
だから、何も新しいことはないと思います。

しかし、PCR検査がいつまでも増えなかったのと同様に
日本の役所、業界、様々な組織というのは
本当は何をやったらいいかわからないんじゃなくて
やった方がいい、やろうやろう、と言っていることが
結局いつまでもやれていないんだと思います。

ですので、学校の教育内容を変えるために
政策的に最低限何をしたらいいかについて、3点ほど考えてみます。

1.過労死しそうな教員が教育内容を改善できるはずがない

プロジェクト型学習とか、キャリア教育とか、マネー教育、主権者教育とか、
実習を多くともなった科学技術教育とか、どれも時間がかかるでしょう。

自分で課題を決めさせ、勝手にやらしておけばいいと
思うかもしれませんが、
やれないことをやれるようにするのが教育ですから
おそらく多くの生徒は最初はやれないのでしょう。

もちろん何から何まで教える必要もないでしょうが、
合理的な教育プログラムを設定し
その都度学習環境を準備して、
必用な支援をそれぞれの学生に対して行って
マークシート採点ではない成果物を評価していく
それは、知識詰込み型教育より恐らく時間がかかる行為でしょう。

そもそもどんな仕事でも同じですが、
変えることには時間がかかります。
例えば教育内容を変えるためには、今やっている日々の業務に加えて
変えるために考える時間、準備する時間が必要になるはずです。
大きく変えるほど、より多くの時間が、
少なくともその変化の初めにはかかるのが理屈です。

一方で、先ほど紹介した動画にもありましたが
日本の教員の労働時間は相当に長いようです。
ニュースにも時々なったりしています。
https://www.jtu-net.or.jp/survey_effort/work/ 
こちらのページにも教員に関する統計が色々でています。

公立学校の教員だと、残業代が見込み時間で多少出るだけで、
後は支払われないという
見なし残業制みたいな制度が法的に適用されているようです。
恐らくまともに残業代を払ったらそれだけで相当な支出増に
なってしまうのではないかと思います。

長時間労働の原因は色々指摘されますが(部活動とかその他様々な業務)
https://stats.oecd.org/Index.aspx?DataSetCode=EAG_PERS_RATIO 
上はOECDのページで色々な統計が見られますが
日本の学校(小中高校)の学級の生徒数が多いのも理由の一つなのでしょう。

一方で、以下の記事にあるように、
財務省が一クラスあたりの生徒数減による教育効果を否定しているのに驚きました。
https://www.asahi.com/articles/ASNBW5GKDNBWUTIL01R.html
「学級規模の縮小の効果はないか、あっても小さいことを示している研究が多い」
とこの記事にあります。

理屈で考えても、仮にある教員が学生にレポートを書かせた時
1つの最終的な評価に「たった5分しか」かけないとしても
40人クラスと30人と20人では評価にかかる時間だけで
200時間と150時間、100時間、という違いになります。

200時間(3時間20分)とは、それだけで半日仕事でしょうね。
すると、まずそのようなタスクを頻繁に課すことはできないので
できるだけ頭を使わず、機械的に評価できる課題しかし課さない
あるいは評価しない(内容は見ずに枚数で評価するとか、出せばいいとか?)
そういう理屈になるのではないかと思います。

150分(2時間半だと)まあ長いですが、大分違います。
1時間40分なら、やろうという気にもなるかもしれません。
レポートに限らず、万事がそうであるはずで
すると学級規模は教育内容に影響を与えるはずと思います。

もし効果がないなら、教育内容、活動内容はどうでもいい
という非科学的な意見になってしまうかもしれません。

この「研究」というのが国内外どちらのものかわかりませんが
あくまで理屈による推測ですが、今までの情報を合わせて考えた場合
「学級規模の縮小の効果がないか、あっても小さい」理由は
既にサービス残業が多いので、学級規模減らして業務量が減った場合
教育内容を改善する代わりに、先に残業時間を減らすから、
というのが理にかなった説明かもしれませんね。
するとその解釈からは、財務省の考え方とは全く反対の
政策が出てくることになります。

もし本当に学級規模縮小による効果がないなら
日本よりも概ねクラス当たりの生徒数が少ない他の欧米など先進国は
財政負担を考えればみな本当は学級規模を「大きくすべき」なのに
それに気づかない愚かな国々ということになりますが、
そんなことが本当にありうるのでしょうか。

このような非科学的に感じられる主張が出るのは
賃金を上げるのに、法人税を上げるか下げるか、で述べたように
「立場」でものを言うからでしょう。

例えば財務省の利害として予算を増やしたくないことが決まっていて、
それ弁護するためにデータを使うとか、
文部科学省や、経済産業省も、それぞれプッシュしたい利害があるのでしょう。
もし、そのように政府内ですら省庁縦割りで客観的な議論もできず
利害が最優先事項で、教育自内容体の優先順位が低くなっているならぞっとします。

畢竟、財務省が何を考えているかはどうでもいいことで
教育に幾ら金を出すのかは国民が納得して政治的に決めればいいので
要は、政治家が説得力のある具体的な形を国民に示せるかという事です。
金を出すと決めれば、出せるはずです。

教育経費は国庫負担も大きいので国会議員の仕事でもありますが
小中学なら基礎自治体、高校なら都道府県議員や首長の役割が大きいのだと思います。

予算だけでなく、教育内容面についても、
日本の場合は、あまり市民の声を反映させるシステムがないようですので
まずは地方議員が、教育一般と自分の自治体の教育ついて学び、
よくするための理念と政策を持つのがよいのではないでしょうか。

現在のような労働環境で、教員に教育内容を変えさせようとしても
時間がないからできないと言うのではないかと思いますので
教育内容を変えるには、もっと人を投入することが必用ではないでしょうか。

それには、例えば「雇用保証」で述べたような形で
社会の潜在労働力を徹底有効活用すれば、その助けになるでしょう。
(それは医療、介護にも言えます)
必ずしも教員と言う形だけでなく、学習や事務作業の補助とか、
スポーツや文化活動の指導とか
キャリア教育とか、様々な内容についても教員以外の人材も活用できるはずですし
より社会に開かれた教育になるのではないかと思います。

もし学級規模を小さくしたいなら教員自体を増やす必要があるしょうから、
それはそのための予算をとって、ある程度教員数を増やすことになるでしょう。
そしてそれも雇用増にもつながります。

ただし、人を増やせばそれで教育内容が劇的に直ぐ変わるかと言えば
必ずしも保証されてはいないでしょう。
実際にそれは現場の人々が頑張ってやらなければ変わらないはずです。
ただ、人を増やすということは、変えるための十分条件ではなくとも
恐らく必要条件ではあるでしょうと思います。

ちなみに動画で最も優れた指導者の授業を流せば
学校の教員はそれほどいらない、という意見も聞いたことがあります。

実際に様々な動画や、動画も含む様々な自動化された学習システムで
代替、効率化できる学習内容は結構あるのではないかと思います。

例えば、問題を解いてチェックするというようなドリル的学習は、
AIなどと組み合わせて、個別化して、自動化出来る部分が
恐らく結構あるのではないのではないでしょうか。(TVでも宣伝してますね)
ですから、そのようなシステムも大いに利用し効率化するといいと思います。
会社の研修などでも結構使われていますよね。

しかし、本来は、動画を流せば済むような内容のつめこみ教育にしないために
教育改革が必要なのでしょうから
一部を自動化、効率化して捻出した資源も使って
先ほどみたような「実際にやってみる」ということも含めて
様々に手間のかかることをしていかなければ
優れた人間は育てられないのではないかと思います。

もし、動画と自動プログラム中心で上手くいくのなら、
これも日本より教育のIT化の進んでいる他の先進諸国が
既に全面的にそうしているはずと思います。

ですので、そのようなICTも十分に活用しつつ、
教育現場の人間に十分な時間的余裕を与えれば、 
よい教育の事例などの情報は幾らでも収集できるでしょうから
教えるべき内容やその手法など必要なことは、教員で自分で学習していくのではないかと思います。
(そもそも教員というのは人に学習の仕方を教える人たちですので)

政府も全体的には子供が社会で生きるための力を伸ばそう
という教育方針自体を持っているのでしょうから
もし、そうであれば、それを実行するための
①時間、②設備や資金等の支援、③邪魔しない環境
を与えればよく、後は基本的に勝手にやらせておけば
それが教育のイノベーションを生むのではないでしょうか。
その環境整備こそ、政治的にできることではないかと思います。

2.子供も大人も今褒められたい(入試制度改革)

さて、人を投入して教育内容を変える時間がある程度捻出できても
意欲のある人がいる一方、変えたくない、面倒くさいという人もいるでしょう。
公務員は倒産しないので、変わりたくない、という力も弱くないと思います。
そして、一般論としては、最終的には子供も大人も
短期的に評価項目のスコアを最大化しようと行動する傾向があると思います。

例えば政治家は当選することを最大目的として行動しますよね。
だから何が一番票をとれるのか迷い、バタバタすることになるわけです。
本来長期的な政策目標とはそんなに簡単には変わらないはずなのですが。

企業であれば、例えば株主が短期的な利益を最大化することを求めれば
その「利益」という評価項目に従い経営者も否応なくそれも応えようと方針をたて
するとその経営者の評価法に従業員がついていかざるを得ない。
長期的には様々のステークホルダーのベネフィットが大事とか言っても
結局自分たちが短期的に評価される指標には逆らえないかもしれません。

誰も彼もがそんな有様ですので
学校の生徒やスタッフにそうするなというのは酷な話でしょう。

では学校の運営者たちは何で評価されるかというと
恐らく現在、教育内容とその教育効果を図るために
例えば小中高校の生徒が「社会に出て何年後にどういった業績を上げたか」とか
あるいはその後「どのような幸せな人生を送ったか」、
そういうデータをもって評価することはなかなか難しいでしょう。

だから例えば進学実績(就職実績)という短期的でわかりやすい業績が
全てではなくても大きな部分を占めるかもしれません。
すると進学を決める評価基準(=入試制度)が、
学校の「教育内容」に大きく影響を与えることになります。

そして、もし進学を決める入学試験の評価がペーパーテスト一つであり
ましてやトリビア的な知識を問うものであれば
学校教育は業績を上げるために知識詰込み教育や
ペーパーテスト対策を教育内容の重要部分に占めるのは
必然的結果ということになります。

たとえ教育現場で様々な手間のかかる教育をやろうという人がある程度はいても
「そんな意味のない余計な時間コストは省いて、
本当に大事なこと(=入試のための詰込み教育)に資源を集中しようぜ」
という意見に逆らえなくなるかもしれません。

政治でいえば、具体的な政策や制度を議論して作るなんて余計なコストは省いて
選挙対策のための印象操作や活動に資源を集中しようぜ、という感じでしょうか。

もしそうであれば、「入学の評価基準」を変えなければ
教育内容は変えにくい、ということになります。
そのような理由から、
入試制度改革というのは実際にずっとやられてきたと思いますが
それにしてはあまり変わっていない気もします。

中学進学、高校進学、大学進学とあるわけですが
特に最後が変われば、皆影響を受けるでしょうから
大学入試制度が、一番重要かもしれません。

さらにその先には、入社=採用評価基準があるのでしょう。
例えば「学歴フィルター」がある、という言い方もされますね。
人気のある大企業などは、応募者が多すぎるので
まずは、学歴(学校名)で書類選考段階で切ってしまう
そんな意味でつかわれる表現だと理解しています。

もちろん、人気のある教育機関は
比較的よい教育が行われている可能性が高いということに、
ある程度の一般性があるのかもしれません。
しかし、それでは本当に個々の応募者の力を見ることができないので
やり方を変えようという企業側の採用方法に対する改善の話も耳にします。

さて、大学入試で、科挙的ペーパーテストを今までやっていた理由もあるはずです。
例えば
①面接などしないので、採点コストが低い
②高度経済成長期の先進国の真似をして追いつく経済では知識を詰め込みが有用だった
③知識詰込み型の試験でも優秀な人間を選別することができるから

①が最も大きな要素だと思いますが、
③についても、確かに理屈ではある程度そういえるかもしれません。
例えば試験内容のタスクの内容が何であれ、
同じタスクを「よりよく」こなせるようになる人間が優秀なのですから
ただ優秀な人間を選別したいなら、それはある程度有効なわけです。

しかしここでの問題は、その試験内容が「教育内容に大きく影響を与える」ので
それが実社会で生きる力(ナウマンゾウ)に役立たないと
その準備に大きな時間をとられる学校教育が非効率なものになってしまうとうことです。

たとえ「国内では」優秀な人をそのような試験で選別できたとしても
国際比較した時に、その優秀な人の集まった教育機関が
国際ランキングではそれほどは評価されない、
日本全体で非効率な教育、ということになってしまうかもしれません。
(入学試験だけの影響ではないと思いますが)

では、どのような試験制度を作ったらよいのでしょうか。
今までの理屈で考えれば
「そのような教育活動をして欲しい」「生きるために身に着けて欲しい」
という内容それ自体を評価できることが望ましいわけです。

例えば、プロジェクト型学習とか、キャリア教育を通じて
深い社会の理解とか、コミュニケーション能力、計画実行能力も
財界も含めて社会の様々な大人が身に着けておいて欲しいと期待する力があり
基礎的な知識に加えて、それを入学時に評価したいわけです。

その評価により、その面での優れた人を選別することから
学校教育内容が影響を受けて、その方面を伸ばすための資源を注ぐようになる狙いです。

どうすれば評価できるのか

・面接をしたり、エッセイを書いてもらう
今までの教育での実績や、キャリア教育など数値化しにくい教育の結果を
知りたいなら、これが有効でしょうか。
高校の実績と入学後の研究内容や将来の見通し説明してもらったり
学校で行った様々なプロジェクトなどの内容も説明してもらう。
ということで評価できるかもしれません。
ボランティアなど様々な学校内校外の諸活動も評価できますし
企業の採用面接と同じですね。

・また、現在多岐にわたる教育内容が学校で行われていて
全体的にそのパフォーマンスを評価したいならば
学校の成績を評価に入れればよいでしょう。

・もちろん基礎的な知識習得を問いたいならば
今実施している大学共通テストのようなテストスコアを用いればいいでしょうし
あるいは、個別に大学が試験内容を考えればいいでしょう。
しかし、その他の様々な評価項目があれば
ペーパー試験の割合はその分下がるわけです。

今あげた様なものを皆入れていくと
結局、いわゆる今の推薦入学試験というものに
近いものなのかもしれません。

現在は、手間はかかるので、推薦入試で採用する枠が少ないのだと思いますが、
大部分の学生をそのように採用するようにすればよいのかもしれませんね。
ただし、どのような項目をどのように評価するのか
より慎重に合理的に考える必要性が出てくるでしょう。

ちなみに、アメリカの大学は、基本的にアドミッションオフィスという部署が
やはり推薦入試に近いような形のエッセイや面接、在学時のスコアなどを用い
評価していると聞きます。
推薦書(その生徒を知る教員とか誰かの)を幾つか提出する
というのも評価に入っているようです。

欧州の国の中には、試験に受かれば基本的にはどの大学にでも行ける
という国もあるようです。(人気大学が定員になれば、ある程度選別をするらしい)
それらは公立大学であり、どの大学であってもそれなりの教育を受けられるように
資金や人などの資源を比較的公平に配分しているのではないかと推測します。

そうであれば、ペーパーテスト対策にあまり時間を費やさなくてもいいので
それも一つの対処法であろうと思いますが、日本ではきっと難しいでしょう。

あるいは、中等教育の終了と共に、大学へ進学する場合にはその予備学年に入り、
その在学中に、複数回試験を受けて
そのスコアによって大学が決まってくるという制度も聞いたことがあります。

日本の話に戻ると、教育をしている高校なり中学と
選抜をする大学なり高校は違う組織ですから
選抜方法を自分の組織の都合で決めるのは理解できますが
その場合、その選抜方法の根拠をどこまで合理的でしょうか。

例えば、仮にある大学の経済学部に進むのに漢文の試験を課すなら
「何故」入学のためにその科目を課すのか、大学側が問われて
もしそれを説明できないとしたらちょっと情けないです。
説明できないなら、試験から抜いた方がよいことになるかもしれません。

そういった個別の試験内容は、それを決めている人が詳しく議論して欲しいですが、
もし大学側が予算がなくて面接などできない、
ペーパーテストしかできないというなら、
それはある程度政治的に予算を確保できるでしょう。

今の議論は、小~高の教育内容によい影響を及ぼすために
大学側がその入学試験の方法を改善する、と言う理屈ですから
利益主体と費用負担主体が別ですので、自主的には中々予算確保しないかもしれません。

しかし前半で見たように、高等教育を相当公費を注いで支援していくならば
その条件の一つとして、入試制度改革をさせることは可能かもしれません。
(もちろん今は理窟だけで論じていますので、
実際にはそのような制度の方がよりよいインセンティブを与えられることのエビデンスが必用でしょう)

それで人件費が多少増えたり、受験料収入が若干減ったとしても、
先ほど見たように、学費助成が広まれば学生数は増えるでしょうし
必用であれば、ある程度学費にその費用を上乗せすることもできるでしょう。
もしその改革によって学校教育全体の教育インセンティブが
良い方へ変わるなら安い支出に思えます。

企業もそうですが、人材採用は鍵ですので
そこにはやはり資金を投じないといけないですよね。

それぞれの主体のインセンティブをよく解きほぐして
社会工学的に望む方向へ向かうよう政策を打つことが政治の役割であり
そうではなく、教育産業にお金を流すことを最優先にするとか
様々な利害でのみ考え、そのような優先順位で動いていると
後何十年してもあまり教育が改善しないかもしれないと思います。

3.経営者が変わらないと変われない

1.と2が変われば、放っておいてもある程度
学校の教育イノベーションが起きるのではないでしょうか。

もう一つ必用な要素を加えるならば、
日本の組織の硬直性について前回少しみましたが
特に、初等~中等教育の大部分が公務員に担われているため
改革のための経営努力が切羽詰まった形でなされない可能性はあります。

校長は学校単位では経営者のようなものなのでしょうが
公立学校は自治体行政の一部であり(支店長みたいなもの?)
本当に改革をしたいならばその中間マネジメント層も含め
そしてさらにその上の層、人事や政策を策定する教育行政部分も
やり方を変える必要があるのではないでしょうか。

例えば、公務員には教育分野も含めて異動というものが頻繁にあります。
学校の校長などの管理職も2年3年でどんどん移動すると聞きます。
しかしそれで、長期的なその学校の経営方針を立てられるのかそもそも疑問です。

例えばある自治体が、ある方針で新しい学校を作りたいという計画をたてたら
その目的に適した教職員を集め、その方針もとにある程度の期間は
徹底してその方針で学校経営、教育を行ってみる。
それが上手くいけば、一つのベストプラクティスができるので
それを他の職員に対して「見える化」して研修などで広げ
公教育のスケールメリットを生かして教育全体を変えていくかもしれない。

そのような、企業であれば当たり前にやっていそうな
目的をもった弾力的な人事や組織運営などの資源投入を行うことも
教育行政に求められているのではないかと思います。

さらには、日本の場合は中央政府の文部科学省の役人が
ある程度細かく教育内容をデザインしようとしているのでしょうから
きっとその部分の改革も必用となるのかもしれません。

しばしば指摘されることは
①役人が広く現代社会の事を理解しているのか疑問
②利権構造や省庁の縦割りの立場
③倒産しない公務員は変わりたがらない
そういった様々なことが重なり
新しい教育を制度レベルで作ることの妨げになっているかもしれません。

一般論として、いろいろな改善のために必要なことに
①外部の意見を聞く
②利用者の意見を聞く
③現場の労働者の声を聞く
ということがあります。

つまり民主的に運営するということですが
「聞く」というのは変えるために本気に聞くのであって
そういう形では十分にはできていないでしょう。

一方の市民の側でも、時間をかけて教育に関わりたい
と思う人間が足りないかもしれません。

文部科学省だけでなく、教育行政に影響を持つ省庁の役人が
どれ程のどのような能力と使命感を持って
その方向性をデザインしているのかも重要だと思います。

もし各省庁の立場から生じる利害にとらわれ、
あるいは特定産業に教育を通じて金を流したいというような
さもしい目的ではまず教育改革は頓挫してしまうでしょう。

官と民と公

官が頼りないと、例えば学校バウチャー制のような形で
より競争させないと良くならないという声が強くなるかもしれません。
https://education-career.jp/magazine/data-report/2019/about-edu-voucher/#:~:text=%E6%95%99%E8%82%B2%E3%83%90%E3%82%A6%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E5%AD%90%E4%BE%9B,%E3%81%A8%E3%82%82%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

教育におけるバウチャー制というのは色々な内容を含むと思いますが
上の記事には、外国における事例と日本のそれが書かれていますので
参考にしていただければと思います。
例えば、子供に対してバウチャーを発行し(補助金)
小学校、中学校であれ、家庭が行く学校を選択できて
その生徒数に対して金が落ちることでで、競争が起きたり
自治体の教育委員会に限らず、様々な主体が学校の運営を担えれば
教育の質が向上する、そんな理念です。

この賛否も、「立場」で意見が初めから決まってしまう部分もある話題ですので
ここでは深く議論をしませんが、(官は官の、民は民のパイを増やしたい)
少なくとも 先に見てきた、
1.長時間労働 2.選抜試験内容、が変わらないと、
公立でも私立、どのような運営者でも
もっと大きな意味での教育内容の大幅改善は
難しいのではないかと思います。

仮に、学校の運営を株式会社が担えたとして
IT化など様々に工夫してある程度合理化したとしても
公立学校教員のみなし残業代を普通に全部支払うには
低賃金の非正規教職員を相当増やすなどして
給与全体を落とす必要があるのではないかと思います。

しかし低賃金では優秀な人材は雇えないので
裕福な層に対する手のかかるエリート教育と、
ICTと非正規職員によって低コスト化しながら
短期評価項目達成のために、知識詰込み型教育で点を稼ぐ
という形になる可能性もあるかもしれませんね。

結局は、公営、民営どちらも同じ人間がやることですから
それほどの差はないかもしれないと私には思えますが、
職員数や、入試制度なども変えて、教育環境を整えてもなお
公立学校の教育学校が現代に即した形に変わらないとしたら
より、民間に公教育を担わせる、という意見が強くなるのは
それは仕方ないとも思います。

現状では、自治体が初等中等教育の大部分を担っているのですから
公務員による経営努力改革が大切ということで、
それに対して政治は自治体の長や地方議員として影響できるでしょう。

高等教育の充実と研究投資

今までは、小学校から高校の教育内容を大まかに論じていましたが
大学教育に求められていることも、ある程度までは
その延長線上であることが
下の経団連のレポートを見ると伝わってきます。
https://www.keidanren.or.jp/policy/2022/003_honbun.pdf

文理にとらわれない教養、STEAM(STEM+Art)
課題解決能力、キャリア教育
ゼミや研究室など、少人数での協同的な学びの実績の重要性etc

つまり専門性と幅広い汎用能力を備えて
自律的にかつ協働して働ける優秀な人が必用ということですね。

日本の大学教育のネガティブ面としてかつて指摘されてきたことは
入学するのは難しいけど、卒業は簡単で
学部生は学費さえ納めてさえもらえればいいので教育内容が薄い
学生の側でもアルバイトと遊び力をいれ、
3年の途中から就職活動がメインなので、それまでは猶予期間で勉強しない
採用企業側も、特に文系の学生なら大学の学習内容に関心は高くない…。

このような状態から今までに相当改革がされてきたであろうと推測しますが
とにかく少子高齢化グローバル知識基盤社会のこれから
高等教育機関で学ぶ内容はとても重要なはずです。
そうでなければ公費で支えるかいがありません。

ちなみに下は大学・大学院進学率等の国際比較からの日本の特徴です。
https://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/giji/__icsFiles/afieldfile/2013/04/16/1333453_2.pdf 
・リベラルアーツが大学においては実学重視の観点から重視はされない 
・修士まで進むのが仏・韓の3分の1、米の4分の1
・企業研究者における博士号保持者の割合が極めて少ない
 →博士号のメリットが薄い
同じモノづくり大国のドイツと比較すると、ドイツは
・修士号取得率は日本より低く、博士号は多い(修士に進む人は大部分博士号まで進む)
・大学進学率は日本より若干低い。

つまり、ドイツ人の方が、大学で何をやるかが初めかr明確である、
と言えるかもしれません。

ですので、初等中等教育が良い形に変化することで
より自分で活動することのできる学生が入学してくれば、
大学の学びの質も変わるのではないか、と思える部分があります。
基本的には、大学は、自分で学び、研究する場所なのでしょう。

また、大学等の高等教育機関というものは、
日本は高校を卒業してすぐ入る人が大部分ですが
必ずしも18歳で入る必要もなく、
働いて仕事や社会について理解を深めてから学んでもいいでしょうし
大学とうの場に社会的多様性があることは、
メリットが高のではないかと思います。

いずれにせよ、高等教育機関は分野は様々あっても
最も知的な人たちが集まっているはずの場所ですので
政府がどのようにしろ、というあまり多く指示をするのではなく
本来はその運営者たちが自分で考えて、改革できるはずと思います。

政府は、予算的な部分で必要な支援をしても、
政治が大学の教育内容にあまり口を挟まない方がよいのではないでしょうか。

分野的には全体的には、STEMを強化していくことが
技術をベースにした社会である以上重要でしょう。
かつて「人文系」などと呼ばれていた分野で学ぶ人も
科学技術をある程度理解し、より社会を包括的に把握し
社会に工学的にアプローチする姿勢が必要なのではないかと思います。

高校までの学校教育の改革は、きっと大学での学びの質によい影響を与えるでしょう。

研究支援の充実と公平で客観的な研究資金

高等教育と共に研究活動が大学の大きな役割です。
イノベーションを生み出すためには、研究資金が多いに越したことはありません。

例えば、政府は10兆円の大学ファンドを運用した利益3000億程度(運用益年3%)で
卓越した大学を選んで支援することを打ち出しています。
他にも、様々な公的資金による研究助成があります。

恐らく政策的に焦点となると思われるのは
その資金を振り向け方、言い換えれば、その決定の仕組みです。

一部の人間が自分たちに近い人に利益誘導する形ではなく
本当に国の研究を活性化するように適切に使われるためには
あまり、議員や官僚が口を出さない客観的な形で
研究費が配分される、そのような決定や人事の仕組みになっているか
政治的に良くチェックして、改善することが大切になるのではないでしょうか。

それは、単に生産性向上やイノベーションということだけでなく
この一連の経済政策の最後の回の、
外部不経済に関する部分でいつか扱えればと思いますが
政府の研究費配分を通じたアカデミズムのコントロールも含めて
政治と産業が恣意的に政治中立的な科学研究をゆがめることは
最終的に人々の命とか、民主主義、社会の根幹を破壊していくことに
つながってくるでしょう。

見えにくいことですが、あらゆるイシューが技術に関わっている現代
それは決定的です。
もともとこのブログはハイテク犯罪についての活動のためのものですので
私にはそれを身をもって知っています

もう一つの課題としては、次の回の産業構造転換で扱う内容ですが
同じ額の研究投資でも、今後伸び行く分野に投資するのと
衰退する分野に投資するのでは、投資効果が違ってくるでしょう。

大学等の研究費に限らず、民間企業の研究投資の公的支援においても同様です。

例えば、競争力の指標として時々参照される事項として、
学術論文の引用数の国際比較があります

資料は見つからなかったのですが、以前読んだ記事に
引用論文数がアメリカなどと比較して日本は低いという量的なこととは別に、
分野として、今伸びているような生命工学とか、AIなどは日本の研究は少なく
やはり現在の日本の主力産業に関わるものが多い
という内容を見た記憶があります。

それは自然なことかもしれませんが、
これから伸ばそうという分野に戦略的に資金を投じることも
今後イノベーションを生み出すためには必要でしょう。

真に価値ある研究ならベンチャーキャピタルなど民間も投資するでしょうし
日本の会社が投資しなくても、海外の会社から資金調達できるでしょうし
他の国の企業と共同研究したり、それは幾らでもやり方はあるでしょうから
政府資金が十分でないことが企業にとって本質的な制約とは言えないかもしれませんが
例えばカーボンニュートラルなど
市場経済の下で放置しておいても中々進まない分野もあるでしょう。
直ぐに利益の出ない基礎的な研究には民間は投資しにくい、という意見も聞きます。
必要であれば、戦略的に伸ばしたい分野に集中して研究開発費を政府が投資することは
社会的合意をもとに行ってよい事だと思います。

社会の有限の資源を最適な分野に投入するために
政治ができることついては次の回で考えて見たいと思います。

政治にできることは人々が活躍するための環境整備

さて、その他イノベーションを起こすということを考えると
教育だけでなく、
本当は、企業や、役所も含めて組織において
アイデアと力のある人がチャレンジできる環境とか
ジェンダーやその他の属性に関わらず
公正に力を発揮し評価される環境とか
産官学の様々な体質的な側面とか
多岐にわたる内容がみな影響してくると思いますが
きりがないのでここまでにして、また機会があれば考えてみましょう。

生産性最大化のための政策について今回と今までの記事で書いてきたことをまとめると
①財政出動(雇用保証・公共事業etc.)により社会に価値ある需要を生み出し
 余剰労働力を吸い上げて売り手市場にして賃金を上げる
 インフラ整備やグリーンニューディール的政策などやるべきことを進める
②解雇規制の緩和は、もし行うなら徹底したセーフティネットが必用
 雇用保証的労働政策でチャレンジできる社会にする。
③残業削減、ワークシェア促進で一人の労働時間を短縮し
 リカレント教育も含めて、考えることに時間を使えるようにする
④例えば1兆円規模以上の追加の高等教育公費助成(年間一人30万)
⑤学校の教育プログラムを社会の要請に沿ったものに改革する。そのために
・教職員の数を増やし ・入学選抜制度を変える ・教育行政を改善する
⑥大学教育の改善と公平な研究投資の拡充
こういった内容が合わせれば
世界というクラスの中で、相当に競争力のあるポジションを占めるのは
勤勉な日本人なら十分に可能なのではないかと私は思います。
そしてそれは、国のプライドとかそういうことだけでなく
まず、社会と人々の暮らしが良くなることにつながると思います。

政府の財政出動としては、素人考えのアバウトな計算で申し訳ないですが
雇用保証プログラムに当初2兆円程度(賃金)
高等教育費支援に1~1.4兆円程度(教育消費)

さらに、供給側の強化として、
グリーンニューディール、(ICT)インフラ整備としての公共事業や補助金
大学や企業の研究投資拡充、
雇用保証でカバーできないエッセンシャルワーカーの拡充(教育、医療etc..)
などに例えば2~5兆円程度入れると、全部で年5~8兆円

それを当座は(金融)所得税や法人税の強化と炭素税など負担可能層に課税し
先には資産課税を中心に賄い
財政の調整に国債も必要な範囲で使用しながら行えば、
社会全体の生産性向上を通じて安定的に経済成長すれば
暮らしも財政も同時によくなっていくのではないでしょうか。
下は炭素税についての記事です。
https://eleminist.com/article/1435

選挙がまじかですが、
政策において本当に大事なのは、金銭的な支出だけではないはずと思います
議員内閣制のもと、与党議員は各省庁の大臣や副大臣等になるのですから
労働や教育、様々な分野の行政改革を通じて、
社会の制度改革、産業改革、構造改革を行う、
それが政治に求められていることなどだと思います。

行政機構を経営する経営者としての素質がないならば
与党にはならない方がいいのかもしれません
きっとマジョリティの有権者は与党としの票を与えないでしょう。

ですから政党は、思いつきで政策を発表するのではなく
例えば影の内閣みたいに、主要な分野に全てに長期的な責任者と担当をつけて
徹底したリサーチを元に、整合性のある具体的な政策を提示し
それを党内で共有して、
さらに協力政党内、そして広く社会に理解してもらい
今の役人のやり方よりもこの方がよいと世間を納得させられない限り
社会構造の改革というものは難しいのではないかと思います。

そんな内容はまたいあつか時間があれば、
次の産業構造転換の回で書ければと思います。

今まで書いてあることは素人考えですので、
至らないところも多いと思いますが、
興味のある方にとって何かの参考にして頂ければ幸いです。
長文お読みいただきありがとうございました。

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  1. 2022/06/30(木) 17:07:24|
  2. 政治
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(2)生産性の最大化(①需要拡大と雇用制度)

第1回「劇場型政策決定システム」http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-91.html  
第2回「税と社会保障(前)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-92.html   
第3回「税と社会保障(後)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-93.html 
第4回「安全保障政策(前)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-101.html
第5回「安全保障政策(中)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-102.html
第6回「安全保障政策(後)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-103.html
第7回「経済政策(1)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-107.html

「市民による市民のための政治」の第8回、経済政策(2)です。

第7回では、少子化の中で、格差を大きく拡大させず労働者数を最大化する
「政府による雇用保証と再訓練」という考えを提案しました。

この制度を生産性の側面からとらえると
・労働参加率が上がることによる国の一人当たりGDPの増加
・最低賃金上げと完全雇用による消費拡大の結果として需要拡大
・職業訓練と安定雇用化促進による労働者のスキル向上
・失敗できるセーフティネットによるチャレンジ精神の促進
などが指摘できるでしょう。

今回はその他の生産性向上のための政策全般について考えてみましょう。

ところで、わたしたちの生産性はそんなに低いですか?

近年日本が一人当たりGDPの国際比較で
ランキングを低下させてきたことがよく指摘されます。
https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2105/17/news005.html
上の記事では、1995年に名目GDPの一人あたりのランキングで3位だった日本は
2019年に4万292ドルでOECD37カ国中19位(つまり世界19位)と
フランスとイギリスの間になり、大分低下していることがわかります。

ドル建ての名目GDPは為替(通貨価値)の影響が大きいため
購買力平価(実際の購買力による指標)でみた一人当たりGDPリストが下のリンクです。
https://ecodb.net/ranking/imf_ppppc.html 

ご覧になると、へえ、と思われるかもしれません。
例えば、日本と同じ4万ドル台前半に
・東欧、南欧ではチェコとイタリア
・イスラエル
・羊の数が人口より多いニュージーランド
・韓国とイギリス
といった国々があります。

購買力平価で見ていますので、
国内の格差を平均した時生活実感としてこれらの国と日本とが
概ね同じくらいの経済的豊かさということになるのでしょう。

ちなみに、上に見ていくと
・4万ドル台後半にフランスやカナダ
・5万ドル台にオーストラリアのような資源も豊富なアングロサクソン国家
・また、ユーロ内の勝者であるドイツや、スウェーデン、デンマークなど北欧国家
・6万ドル台の大国は米国のみです

逆に低い方へと見ていくと3万ドル台は
・スペイン、ポルトガルなどの南欧国や
・ITなどで発展しているイメージのあるバルト3国など東欧の一部の国々

2万ドル台が
・ロシア・ギリシャなど他の欧州の国や
・チリ・アルゼンチンなど中南米の中で発展している国など
このあたりがが、先進国でも経済的な問題が目立つ国や、
先進国入りした国、あるいは中進国という感じでしょうか

1万ドル台が主に発展途上国の上の方
1万ドル以下が途上国の中でも貧困層の割合も少なくない国々
というのが私の持ったかなりざっくりとしたイメージです。

ちなみに中国が約1万7千ドル、ブラジルが約1万5千ドル、
インドは約6千5百ドルです。

あくまでもこれは一人当たりの平均GDPですので
例えば、中国政府は時にまだ自国を途上国とみなして
環境問題対策なども途上国としての扱いを主張しますが
科学技術的には最先進国の一つであること違いありません。
宇宙開発も十分可能なインドも、同様のことが言えるでしょう。
しかし国内には貧困層も多く抱えているということです。

さて、豊かさのとらえ方は人それぞれでしょうが
私が感じるのは世界全体で見た場合に、
日本社会は「平均的には」、まだ経済的に豊かな先進国である、
という事実だと思います。

みなさん、日々働いて自分が何かを生みだす代わりに
稼いだ金で様々な財やサービスを使い、ご飯を食べていますが
自分自身が労働してまさに生み出しているものと、
自分自身が消費しているあらゆるものを比較した時
それを可能にさせている社会を、貧しい、あるいは豊か、どのように感じますか?

心理学的には絶対的貧困より相対的貧困=格差の方が
自分が貧しいと感じる要素のようです。
向上心は大切ですが、足るを知ることも必要、と思うこともあります。

https://www.nissay.co.jp/enjoy/keizai/135.html
さて次に、上の記事の3つ目のグラフに
名目と購買力平価換算でのGDPの成長を比較したグラフがありますが、
購買力平価換算ではリーマンショック、コロナ禍などを除けば
低率ですが日本経済も年々成長していることがわかると思います。

一方で近年日本の人口増加は少なく、特に2016年からは減少し始め
労働者数自体は一億総括で若干増えたことを前回みましたが
フルタイムで労働可能な層はそう増えてないと思いますので
それらを加味すると、日本人の一人当たりの平均的生産性は
ある程度は上昇していると言えるのではないかと思います。

日本のGDPの対世界比率が下がっていることも時に指摘されますが
世界の傾向としてここ数十年で貧困国が減り中・高所得国が増えており、
つまり南北格差は長いスパンでは縮小傾向にあることが全体的には言えるでしょう。
それ自体は、本来は良いことですね。
日本人であるとともに地球市民としてそうとらえたいものです。

例えば、フィリッピンが戦略的に欧米企業のコールセンターを下請したり
インドもIT産業の成長も目覚ましいですが
日本が得意とする機械生産など製造業より
IT産業やICTを利用したサービス業の方が
新興国にとっては新規参入が容易な分野かもしれないと思います。

そのような世界の産業構造の変化もあり
日本に関しては人口減少による影響も大きいでしょう。
日本人口の世界人口に対する比率は、1990年で約2.2%→2020年1.7%です。

つまり、日本人の1人1人は平均的には頑張って生産性をある程度は高めており
世界に対する日本の経済力の低下は、ある程度人口減少の影響も大きいということ。
そして、世界有数の輸出国として多くの工業製品を輸出する技術力も持っています。

さらに、GDPという数字が豊かさを表す全てではありません。
例えば、業者に頼んで家の中を掃除してもらえばGDPに加算されますが、
自分で掃除しても、ただ家が綺麗になるだけで、GDPになりません。
食事でも、育児でも、人との交流でも、
オフィシャルな経済活動を通じてそれを行えばGDPとして計算されますが
GDP=人間の豊かさとは必ずしもならないのはお分かりになると思います。

つまり、豊かさには色々な要素がありますよ、という当たり前のことです。
生産性とは数字的には、総付加価値を国民ないし労働者数で割った結果論です。

と、ここまで、そんなに日本人の生産性は低いですか、
という内容を見てきましたが
とはいえ、様々な要素を元に日本の現状がしばしば嘆かれるということは
言い換えれば、私たちの国は「先進国グループの中でもより競争力のある国」
という容易ではない高みを自ら選んで目指しているのでしょう。

例えば、みなさんの学校時代を思いだしてください。
クラスに40人の人がいるとして、それが仮に世界全体だとすれば
日本君は、おそらくクラストップ1位から、せめて3位くらいまでには入りたい
そのような高みを目指す優等生志望なのでしょう。
ところが今、クラス6位とか7位とかくらいに落ちてきて焦っている。

一方で、ICTの普及などで、知識、情報は誰にでも伝わり
40人みんなが稼ぎ方を知ってしのぎを削っている中で
日本君がそのような高みを目指すのは簡単ではないでしょう。
はっきり言って、相当厳しい道だと思います。
しかし、それでも「もしそうしたいなら」、政策的にできることは何か、
それがここから考えていくテーマになると思います。

生産性を上げるには?

経済成長と生産性向上が伸び悩む原因としてあげられることに
①需要不足 
②日本の組織の硬直性
③イノベーションが起きない
④規制と産業構造転換の遅れ
などがあるでしょうか?

これらは恐らくそれぞれに真なのだと思いますが
難しいのは、いつも具体的対処法になると
例えば賃金が上がらないことからの需要不足に対して
「企業が内部留保を増やし賃上げや投資に金を回さないから成長しない」
ということがデータである程度示されても
→①だから、法人税減税と規制緩和で企業が投資しやすくすればよい
 ②だから、法人税を上げ、税でとられるより賃上げや投資に資金を回すようにさせる
という真逆の政策がそこから出てきたりします。

結局、前回述べたように、「支持層が違う」といえばそれまでですが
やはり出来るだけ幅広い層がウィンウィンになる妥協点を探してみたいです。 

①需要不足
1. 最低賃金を1300円まで上げられるのか?

先進国でも途上国でも貧困層が増え、格差が広がりすぎると
消費が停滞し、社会コストも上がり、経済を鈍化させると言われます。
金持ちがさらに金をもってもあまり使わないけれど
低収入層がお金を持てばそのお金を使うため
全体が同じパイの場合、経済格差が拡大すれば需要は縮小するというのは
理屈で考えても概ね正しいのではないかと思います。

需要全体が縮小すれば、労働者が一定の場合、一人当たりの付加価値=生産性は伸びない
そんなことが昨年の選挙の時に主に野党勢力から指摘されていたと思います。

企業側から見ると、ただ人件費を削って企業利益と株主配当を確保すると
それを日本中の企業が行った場合、もし国全体の経済規模が変化しないなら
労働者の賃金が減って企業側、株主側に移動しただけであり
賃金の減少により需要が減ってむしろ経済が縮小する、
すると1人当たりの付加価値=生産性も平均で低下する
このような理屈となるでしょう。

実際は縮小しないまでも低成長が長続きし上手くいってないようです。

この対策として、例えば金を国民に給付するという考えがあります。
ただし、5万円、10万円とその都度配っても
緊急的な措置としてはともかく、持続的な経済効果はないのでしょう。

需要不足の構造を変換するという事に関しては、
例えば税制を変えて、金があるところから取り
社会保障制度などの形で給付を充実させるのが一つの考えでしょう。

あるいは、前回提案の雇用保証制度のような強い労働政策があれば、
主に失業者、潜在失業者(概ね豊かでない)に対しての支払い賃金を通じて
その財政支出を消費につなげることができると同時に
労働供給も確保して経済を成長させられるのではないかと思います。

この場合、需要面だけでなく供給面でみても、
失業者は労働や訓練を通じてスキル=生産性を向上させ
それは本人だけでなく雇用企業、社会全体に利益があるはずです。

そして大事なことの一つに、最低賃金を上げるということがあり
これも需要拡大に寄与するはずです。
前回は、例えば時給1300円まで上げることを仮定して議論しました。

最低賃金の上昇が生産性の向上に結びつくのも、
賃金上昇=購買力と需要拡大の面だけでなく
①賃金が上がればより責任ある職務についてもらうことになる
働く側のモチベーションも上がる、ということが当然起きるでしょう。
 人間時間あたり1000円もらえば1000円分の仕事を
 1300円もらえば1300円分の仕事をしようとする、そういうものです。

②人件費上昇が価格に転嫁され、それに見合う生産性向上が促される
それができない企業は最後には廃業し、
その従業員は生産性の高い企業に移動する
そういった供給面の変化を伴うはずです。

しかし一方では人件費が上がると機械を導入するなどして
その分は失業が増えるという指摘もあります。

それは、その企業の生産性が設備投資によって上がるということでもあるので
それによる失業者を、他企業、他産業で吸収してくれればいいわけです。
しかしそれがすぐには難しい場合もありますので
例えば「雇用保証」的なセーフティネットが
その産業構造転換の助けになる、というのも前回の提案の背景にあります。

繰り返しますが、今議論しているのは、
人件費削減によって減る給与と引き換えに
個々の企業が利益を確保するのではなく
日本人全体を豊かにして、できるならクラス3位くらいしたいという時の
いばらの道のオルタナティブの経済政策であり
すると人件費は生産性の向上とともに「上がっていかなければならない」と
腹をくくる必要があるはず、私はそう思います。

輸出も円安と人件費削減に頼るのではなく
高付加価値製品を輸出するという方向性です。

実際には、最低賃金に近い労働者が多い業種は
輸出製造業より小売・飲食・宿泊業などと言われます。
特に最低賃金を上げて経営が苦しいのは中小企業でしょう。

最低賃金上がるにつれて生産性向上のための経営努力をし、
同時に、内需が少しずつ増して懐の温かい人が増え
それにより売り上げが向上する、という良循環できればいいですが
一気に上がってしまうと、経営が厳しいのではないかと思います。
ですから、政府が行っているように
30円ずつ位毎年少しずつ上げるという形になるのだと思います。

もし一気に上げるのであれば、時限的でも支援が必要なはずです。
例えば、中小企業の社会保険の企業負担分を軽減するとか
既に提案されているような何らかの方法で
人件費上昇分をある程度相殺するのが現実的な方法でしょう。
どの程度の支援が必用かは、ある程度計算できるのではないかと思います。

しかし、そのような制度的支援は全体的なもの(例えば中小企業全体とか)であり
予算制限からも支援額に限度があるでしょうから
やはり企業側もその人件費上昇に対応して変化していく必要があります。

仮に、最低賃金が全国一律1300円になったとすると
地域によって現在差のある最低賃金が一番低いところで820円程度で
これが1300円になるというのは約1.6倍で、かなり大きいですね。

この賃金上昇が物価上昇に与える影響は専門家でないので計算できませんが
例えば、最低賃金の最も低い820円の地域にある
ほとんどバイトで回しているラーメン屋の人件費率を約30%と想定し
その3分の2にあたる従業員が最低賃金で働いていると仮定すると
(残りの人件費が経営者とか正社員の取り分)
0.6×0.3×2/3=0.12、

700円のラーメンを800円くらいで同じ数売ることができれば、
人件費上昇の価格転嫁が成り立つのでしょうか?

実際、仕入れその他の諸々の全体の経費にも、
巡り巡って最低賃金上昇の影響が及ぶなら
もっと値上げが必用かもしれません。

しかし、仮に隣にある大企業ラーメンチェーン店が
やりくりして、価格は据え置きで頑張ってくると
競争しているそのお店としては価格転嫁しにくいかもしれません。
その場合選択肢は、
①人件費以外の部分でコストカットする(or人を減らして回す)
②経営者の人件費や会社の利益を減らす
③原価を変えずに800円で売れるおいしいラーメンに改良するか、数をもっと売る
などになるでしょうか。

②以外は、直ぐにはできないかもしれませんので、
政策的には、社会保険料の軽減などの助成策で人件費増の相殺をある程度し
その助成も頼りつつ①や③を行っていく、ということでしょう。
それは実際に生産性が上がる、ということですね。

2. 賃金上昇とマイクロイノベーション

「①や③を行うなんて俺にできるのか?」 
というのはそのラーメン屋店主の当然の疑問ですが
やるしかないのです。

政府によって最低賃金を強制的に1300円にあげられたら
経営が厳しいと当然感じると思います。
業績が上がらず人件費だけ上がり続ければ廃業の恐れがあるのは事実で
そうした時には、売り上げを上げるのにどうしたらよいか?

結局、私たちがみんなで、そこそこ豊かになるには
わたしたちという人材のポテンシャルをフル活用するしかないと思います。
例えばその昇級した従業員たちに一緒に考えてもらうのもいいのではないかと思います。
従業員の方でも、今まで言われたことをこなしていただけだったのに
かなり昇級したので(1.6倍は大きい!)、考えてくれるかもしれない。

例えば、今までやってなかったけれど、
HPを作って予約注文を受けたらどうだろうかとか
ツイッターとか使って宣伝してみようかとか
利益率が高い新メニューを提案するとか
場合によっては4人で回していた店舗を3人で回す方法を考えるとか…

「マイクロイノベーション」とたいそうな小見出しを付けましたが
工夫と改善です。
でもそれは賃金を上がれば、従業員から期待していいことであり
それが、わたしたちの生産性が上がっていくという事だと思います。
これは最低賃金とは関係ない一般的な賃金上昇でも同様です。

それでもしだめなら経営者の取り分を減らすしかなく
それも駄目なら別の事業者にとってかわられるのは避けられないかもしれません。 

3.だから最低賃金額は納得できる根拠を元に議論すべき
さて、仮に、最低賃金上昇で賃金が上がるのはその層の人たちだけであり

それ以上稼いでいる人の賃金はほぼ変化しないと仮定すると
最低賃金上げによる人件費上昇が価格転嫁される一部のサービスについて
残り大多数の人がその程度の価格転嫁=物価上昇は構わないよ、妥当だ、
そのように考えられる程度であれば
その最低賃金上げは、十分成り立つのではないかと思います。
それはある程度、社会合意ということでしょう。

仮に現在の物価水準で、最低賃金を1500円とかそれ以上に上げるべきと考えた時
例えば、日本より物価の高いヨーロッパとかオーストラリアみたいに
ランチは安いものでも1000円以上
コンビニでパンを1個買っても200円~300円とか
そういう風に人件費上昇に伴う価格転嫁を人々が受け入れる、
ということになるのかもしれません。
(徹底した自動化をすれば400円牛丼も維持できるのか…)

そして様々な支援策はあったとしても最終的に
その価格帯で納得されるサービスを提供できないビジネスは
やはり廃業やむなし、ということを受け入れるのが
政府が強制的に賃金を上げることの意味なのではないかと思います。

ですから額については、明確な根拠があるべきだと思います。
現在政府は全国平均で1000円になる程度を想定しているようです。
それですと、地域によってフルタイム労働でも年収200万程度以下の
ワーキングプアを生み出す水準ですので
もう200~300円上げる余地がないかと個人的には思います。

これは社会保障であり、生産性を高める人的投資
産業政策でもあるととらえたいです。

しかしでは幾らまで上げるのか?
考え方の一つは、「生活に必要な費用」による計算です。
よく言われる全国一律最低賃金1500円ということの根拠の一つに
全労連(よく聞く「連合」とは別の労働組合センターですね)の
調査による生活費からの計算があり、下のリンクがそれです。
https://www.chihyo.jp/wp-content/uploads/2021/02/191219_siryou.pdf 
https://www.chihyo.jp/wp-content/uploads/2021/02/shiryo-shosai.pdf

もう一つは、例えばフルタイム労働賃金の中央値からの割合など指標を用い
その指標を他の先進国の水準に合わせてもよいかもしれません。
下の最低賃金に関する記事では、イギリスは
「労働者全体の中央値の3分の2という『水準』を目標にしている」とありますが
そのような考え方です。
https://www.asahi.com/articles/ASP796SW4P79ULFA00C.html

いずれにせよ、根拠を元に、見える形で議論して欲しいです。
生活水準方式なら、この調査の生活水準は
最低賃金としては高い、あるいは安いのではないか
このくらいが妥当ではないか、というような見える形で議論すれば
国民が納得する妥協点を見つけることができるのではないかと思います。

そして、その基準で、消費者物価の変化に合わせて額を変化させればいいでしょう。
つまり、現在の生活水準なら、このような根拠でこの額が適当であり、
そして、物価が変化すればさらにそれに合わせていくというのが
理解出来る形ではないかと思います。

その社会合意を得るための粘り強い説明の過程の中で
その政策の内容が社会に情報として普及していきますよね
ということも第一回から述べています。

全国一律の額にしたいというのも、
家賃は地域で違う一方、交通費がかかるというならその根拠を示したり
あるいは政策的に地域格差を縮小させたい、という政策目標など
根拠や理由をしっかり提示して、議論する必要があるでしょう。

そうではなく、「何となく」幾らくらいがいいとか、
「あの党が幾らといっているので」うちは幾らにしなくてはとか、
そのようなテキトーな主張に聞こえてしまうと、
いつまでも社会合意を得られないかもしれません。

「幾らを目指します」アバウトに言えば、それが「いつの」達成目標かわからないと
放っておけば物価は少しずつでも上昇しますので、
いずれ目標値に放っておいても近づいてくるでしょうが、
それは現在の政策提案の説明になりません。

逆にこのような根拠でそこまで上げる必要があるという社会合意ができれば
必用ならば、人件費上昇の緩和のための助成にこの額が必用だとか
具体的な方策や予算確保について考えるだけです。

これを政治的に考えた場合、最低賃金を上げて利益を直接的に受けるのは
その賃金帯の労働者であり、それは社会全体からすればマイノリティです。
その人たちは、根拠など示さなくても最低賃金上昇には賛成なはずです。
しかし、他の人たちは、その人件費上昇なり価格転嫁で損失を受けますので
直接的利害だけを考えれば、マジョリティがノーというのは自然な反応です。

その利害を超えて、このような根拠で、だからこの額までは上げることが必要、
ということをマジョリティに説明して、通すのが政治であり、
それができないなら、通らないということではないかと思います。

話が少しずれますが、
選挙の票を足し算で考える人もいると思います。つまり、
①最低賃金を幾らまで上げる、と言えば、その層の人の票がとれ
②低収入子持ちの層にはこの額を援助する、とすればその層がとれ
③憲法に関してこのようなスタンスをとれば、その層の票がとれ…

①、②、③…㊿と数ある政策を支持する層には重複している部分と、
していない部分があります。
しかし、どれか一つ二つ、ある人にとって重要な政策を提示していれば
きっとその人の票がとれる、
それをいくつも足していけば票は大きくなる、という考えです。

逆に、引き算、つまりリスク回避優先で考える人もいるかもしれません。
つまり、①、②は概ね賛成だけれど、③はどうしても受け入れられないから
やはり、この党に票は入れられない
①と③は賛成だけれど、②はよくリスクも政策根拠もわからないから危険なので
だから、この党に入れるより、やっていることがわかる現政府の方がまし…

政治家がどうとらえているか私は知りませんが、
日本人は比較的リスク回避志向の人が多い気がしますので(そこそこ豊だからでしょう)
後者のように考える人が多いかもしれないと感じます。
その時大事なことは、その政策を単に引っ込めるということではなく
リスクを伴うかもしれない政策についてその明確な根拠や、
リスクを緩和する方策のディテールなどを説明することだと思います
それが不十分で、足し算方式で通ると考えるのは甘い認識ではないか、
そのように思うことがあります。

例えば、特にこのような理由でこの党には票を「入れたくない」、
という内容を問うアンケートをとってみるのもいいかもしれませんね。

②最低賃金以外を賃金はどうすれば上がるのか?
1. 賃上げ=人件費の上昇

現在「賃上げ」が政治的話題になっています。
「賃上げ」というのは、例えば経営者向けのリポートなどでは、
「…輸入物価の上昇や国内人経費の上昇などの不安要因が見られます…」
など、「人件費の上昇」は通常ネガティブな意味になることが多いでしょう。

政府、与野党が今いっている「賃金を上げる」=「人件費が上がる」です。
これは、同じ現象を別の視点から言い換えたに過ぎません。
つまり、与党も含めて、今政治家は企業に対して
「もっともっと人件費を上げようぜ」と訴えていることになります。

何故、政府が今まで賃上げ税制も含めて対策のようなものを行っても
現実としては平均賃金が下がってきたのでしょうか?

もしかしたら企業経営者層に配慮して
「人件費を上げたくなかった」からかもしれませんね。

では、どのようにして最低賃金以外の賃金を上げるのでしょうか。
社会主義国ではないですので、政府が財界に3%上げてくれと言っても、
その通りに上がるものではないでしょう。

①賃上げ時の法人税減税という賃上げ税制を政府が提案しています。
しかし、今までもやってきたことで有効性には疑問がもたれています。
法人税を払ってない赤字企業には意味がない、
時限的な法人税減税で固定費としての人件費は上げない、などの指摘があります。

②例えば、業種別にもう少し高めの最低賃金を設定する方法もあるでしょう。
看護師の最低賃金は幾ら、みたいな感じです。

③様々な産業、企業別労働組合による労使交渉というのは賃上げの形の一つです。
 賃金だけでなく様々な労働条件の改善などもあります。
 社会のどれだけの労働者が労働組合にカバーされているかということ、
また、その労使交渉の具合によるでしょう。

④公務員の給与は、変えようと思えば政治的に変更できるでしょう。

⑤診療報酬、介護報酬など、政府が設定する価格が
その産業の就業者の賃金に大きく影響する分野もあります。
医療、保育、介護など、エッセンシャル・サービスと最近では言われる分野が
そのような影響を受けることの多い業界でもあります。

例えば賃上げをしたければ、介護報酬や診療報酬を上げる、という政治的決定ができます。
医療・介護・福祉業界だけで1000万人程度の人が働いているのではないかと思います
しかし、そのためには、介護保険や医療保険を引き上げるのか、
税金から出すのか、などの財源論の話にもなるのでしょう。

そもそも、収入の全部がそのような政策決定される報酬で決まるのではなく
例えば高齢者介護施設なら、その中で提供する介護報酬は決まっているけど
部屋代とか食費とかその他のサービスは自由設定など
それらが合わさって収入となり、
その中から経営者が介護スタッフの給与も決めて払う、ということになります。

結局、個々人の給与に関しては「経営者に裁量」があります。
だから例えば、先日政府が介護士一人当たり月9000円賃上げする政策を出しましたが
それも事業者に金を出すときに、その金は人件費目的以外では使ってはいけない
という縛りとともに出していますね。
しかしそれでも、「誰の人件費」を上げるために使うかは
経営者の裁量に任されているという批判も聞きます。

従って、実際は現在、複合的な要因で低賃金が訴えられているのだと思います。
つまり、介護士・保育士の「平均給与」が低いから上げる、それはいいですが
その平均給与は、政府の決める介護報酬が低いから低いというのと
経営の仕方が上手ではないから、例えばその施設の業績がよくないので低いというのと
経営者がけちで人件費として労働者にあまり分配しないから、職員が低賃金なのと
色々要因があって「平均賃金」という結果はそれが混じっているわけですよね。

https://toyokeizai.net/articles/-/353549
上の記事の中には、自治体が業務委託した認可保育園において、
本来は業務委託料の8割が人件費として設定されているはずなのに
「弾力的運用」が可能な制度なので、
委託業者によって3割とか5割程度しか人件費に当てず、
それ以外は、事業拡張とか、利益に出して株主配当に充てるなどにも使用できる
だから、賃金が安いことがある、というケースが書かれています。

しかし、もし「同じ委託料」で、より利益を上げがた方優れた経営になるならば
より優れた経営者ほど「賃金は下がっていく」ことになりますね。

対策をしたいのなら、人件費として委託料の最低7割は充てなければいけないとか
業務委託の際に何らかの規制を設けることができるでしょうか。
すると民間の企業努力に介入するのか、という反論があるかもしれませんが
委託サービスの質を担保するためなどに必用、という理屈ですね。

同じように介護や医療業界における賃金も複合的な要因がおそらくあるのでしょう。

先ほどから何を長々と書いているかというと
そのように賃金が低い要因は複数あり、
給与を上げるか下げるかの判断は、何らかの外的縛りがないならば
最終的には「経営者の裁量」になります。()
その他の一般の産業であれば、なおさらです。
(その企業の賃金規定や契約もあるでしょうがそれを決めるのも経営者)

すると、最終的に全産業的に自然に賃金が上がっていく状態というのは
企業経営側からすれば、「景気がよく業績がよくなっているから」と言いたいでしょうが
たとえ業績が伸びても、経営者側には「給与を上げない裁量」があります。

結果論として、労働者側から見た場合、
賃上げの条件を私たちが良く知っている言葉で表すとしたら
「売り手市場」だから、ということになるでしょう。
価格は需要と供給で決まります。

2.売り手市場を作る

売り手市場=人不足ということで、これも同じ現象の言い換えです。
人が不足しているので、給与を上げて取り合うわけです。
ということは人不足というのは賃上げのチャンスなので、
本当に賃上げしたいなら、例えば安易に低賃金の労働者を
外国から入れてはいけないということになるかもしれません。
(排外主義的な側面から言っているのではないとご理解下さい)

結局賃上げしたいのか、賃下げしたいのか、ということです。

一方で、人口動態の変化による労働力不足を補うため一億総括をして
人口は減っても労働者数は若干増えていましたね。
さらにDXによる合理化も、遅れているとは言われていても進んでおり
今後もさらにそれが進むでしょう。
それでも売り手市場=人不足にするためには、原理的には
・労働者数を減らすか(しかしその場合労働参加率が落ちて国全体の生産性は落ちる)
・一人当たりの労働生産性を落とすか(それではこの議論の意味がない)
・財・サービスの需要が増える必要があり(業績が上がるということ)

従って、全体では「業績が上がれば…」というのは正しいでしょう。
つまりは内需か外需かその両方が増える(つまり経済成長する)ということです。

しかし内需不足に対して、今みたいに民間企業が投資しないのであれば
政府が公共事業を発注したり、公的労働者を拡大したり
消費に回らない富裕層の資産の一部を強制的に他へ回すことが
賃上げのためには必要になる、ということにならないでしょうか。

あるいは、資産を多く貯めた富裕層、高齢者向けのサービスを生み出すとか
イノベーションで新しい商品、サービスを作り出して需要を創出するとか
民間主導でそういうことができれば、それでいいですけど、
「できていない間は」ある程度官製需要に頼るしかないのではないでしょうか
これがケインズ経済政策の考えであると理解しています。
(規制を緩和すれば、価格が安くなり、消費しやすくなり需要が増えるという人もいますが
単位価格が安くなると、賃金も安くもなるでしょうから、
その規制緩和が新規需要を生み出すものであるのか
個々の規制の影響の内容によりけりですので、一概には言えないのでしょう)

(1)の「雇用保証と職業訓練」やグリーンニューディール的政策の目的の一つはそれで、
社会的投資効果を意識した官製需要と民需促進で、
余剰労働力をどんどん吸い上げてしまい(そして就業と職業訓練によってスキルも上げる)
完全雇用=売り手労働市場を強制的に作れば
全産業的に賃金を上げざるを得ない、ということです。 
(その過程で、内需も増えている)

その政策の企業にとって最大の懸念は人件費が上がることでしょうが
つまりそれは賃金が上がるということです。
繰り返しですが、人件費=賃金を上げたいのか下げたいのか。

儲かっている企業ですら、法人税下げとセットでないと賃上げしないというのが
経営者側の基本的マインドならば、もはや経営者の「善意」に期待しても仕方なく
労働需要と供給のバランスによる自然な上昇が必用ではないでしょうか。

とりあえず官製需要でも全体として売り上げは上がり、
労働力が不足するので賃金が上がり
すると消費が増し、投資も起きて生産性もがあがり
経済成長する中でまた賃金が上がる。
そのような前向きな循環の中でも 、
その人件費上昇に耐えられないビジネスは撤退するしかない、
その失業者をまた別のより生産性の高い企業が吸収する 
それも産業構造の転換の一面であろうと思います。

3. 人件費上昇は輸出にマイナスか?

もう一つの需要拡大は、輸出で
拡大できるならば誰も反対はしないでしょう。

しかし要は、国際市場に通用する財・サービスの提供ができるか
つまり既にそれだけの生産性(クオリティと価格競争力)があるかということですので
政府も支援はできるでしょうが、
政策によって輸出の大幅拡大を期待するのは難しいかもしれません。
人々と企業が頑張るしかありません。

円安誘導と人件費削減で輸出企業の儲けを拡大しているのは
社会の他の部分に負担を強いているわけですから
輸出産業自体が本当に成長しているとはあまり言えないかもしれません。

本当の成長のためには、教育や研究に投資して生産性を上げ
イノベーションによって新しいサービスを生み出すといった
産業政策によって企業の下支えを行うということになるでしょう。

そこで人件費の上昇が輸出にマイナスになる
という批判が出てくるかもしれません。
輸出は国際市場で戦っているから足を引っ張るな、ということです。

ところで日本は何を輸出しているのでしょうか?
こちらのJETROのページでは日本の輸出入品目について
ファイルでダウンロードできます。
https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2021/885aa8eae9683680.html
下は、日本と同様の工業品輸出国ドイツの輸出入品目
https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2021/bc223fc9aa5c37e3.html

日本は70兆円分ぐらいの輸出しているようですが
輸送機器、ICを含む電子機器、光学機器、
その他原動機とか様々ないわゆる「機械」が7割程度占めています。
他に、医薬品などのも含む化学製品が1割強、金属・非金属の素材が1割強、
残りが食品とかその他諸々という感じです。
大小の様々な工場でつくる機械その部品が
輸出の大部分を占めていることがわかります。

輸出産業=主に製造業の生産性は平均的に低くないと言われます。
とすれば、まず最低賃金をある程度上げても、その影響は限定的でしょう。

また直接投資(例えばフランスに日本メーカーの自動車工場を作って売るとか)の儲けや
その他様々な資産、ライセンス等からの資本収支の方で
稼いでいる部分が大きくなっている現状もあります。
それは国内の賃上げの影響をそれほど受けないです。

確かにその直接投資は、日本が先進国として国内人件費が比較的高いので
海外に工場移転し、その分の国内雇用が減る、「産業の空洞化」という言葉があります。
しかし、それはある程度はもう仕方がないことです。
逆に、日本が輸出することで他国の需要も奪っているのです。

何より、日本が目指している方向性としては
低給与と円安で輸出拡大をするのではなく
人件費がある程度高くても通用するような高付加価値商品を輸出できる
先進国の中のでも競争力があるという高みなのでしょうから
結局賃上げしたいのか、賃下げしたいのか、という事でしょう。
優等生としてのいばらの道を進みたいのだと理解しています。

例えば高い技術で他には容易には作れない商品
あるいはモノだけでなくそれに付随する高品質のサービスとセットの供給で
オンリーワンの価値を目指す
安い労働力に負けない様々な試みがされていると思います。
下のリンクは製造業のサービス化について力を入れるドイツの輸出の記事です。
https://cs2.toray.co.jp/news/tbr/newsrrs01.nsf/0/7F5FAB81C140598B4925833D003C840C/$FILE/sen_188_01.pdf

あるいは徹底して自動化を進め高い利益率を誇っている輸出企業もあります
その場合、工場労働者はあまり必要なくなりますが
それでも、その産業ロボットの製作やメンテナンスなどの技術者も含めて
企画、営業など様々な他の部分で、やはり雇用が生じています。

少なくとも競争力のある産業が育つ時に
大きな需要(賃金)に支えられた国内市場はマイナスにはならないではずです。
家電もウォークマンもファミコンも、国内市場で育てて輸出したはずです。
アップルだってアマゾンだって初めは同じでしょう。

時には、国内市場でなく最初からグローバル市場を意識すべきという言い方もされますが
日本市場に財・サービスを合わせすぎてしまうという可能性としてありえても
日本もグローバル市場の一部であり、
輸出のみ100パーセントで稼いでいる企業も多くはないでしょうから
国内市場の拡大は企業にとってプラスにはなっても、邪魔にはなりません。

輸出と同様に、輸入代替的な国産品の普及も労働需要拡大に貢献します。
値段は少し高いけど安全な国産食材がいい、とか
これも価格競争以外の様々なクオリティがあってのものです。
化石燃料に代わるエネルギー自給も雇用拡大にある程度貢献するはずです。

あるいは、観光のインバウンドとか、
日本のアニメを外国が買って放映するとか
日本のコンビニが外国に出店するとか、フェイズがそれぞれ違いますが
一般的に「サービスの輸出」といって、それも外貨を稼ぎ需要を作りますが
それにも日本の物価は影響しますが、最終的には商品やサービスの魅力が鍵でしょう。

今、長々と何を書いているかというと、
「日本人の賃金上昇は、外需獲得にそれほどマイナスにならないのではないか」
ということです。

結局、財・サービス輸出、直接投資、輸入代替どれにとっても必要なのは、
国際市場に通用する「技術」があるということです。
あるいは技術も含めたデザイン、ブランドとか、マーケティング力とか
全てが合わさって、売れる価値と価格になるわけですので
その「技術等」を向上させるしかないでしょう。
そうすれば大きな市場=需要にアクセスできます。
低賃金に支えられた労働環境でそれが十分達成できるのでしょうか。

一方の内需ですが、これも限られているようで
理屈では、その伸びしろはいくらでもあるでしょう。

内需経済というのは、例えばAとBという人がいて
Aが大豆を作って1万円でBに売り
Bが味噌を作ってその一万円でAに売り
Aが味噌汁を作ってBに一万円で売り
といったやりとりをお互いに100回繰り返せば
双方の収入が100万円になる理屈です。
AとBの双方は、100万円分の労働をしてサービスを他人に提供し、
また100万円分の財やサービスを金を払って消費しています。
この2人だけの国ならGDPは200万円です。

しかし、現実的には様々な制約があります。
・一つは「時間」です。生産活動にも消費にも時間が必用で
人間できることに限りがあります。 
 「量」も同様で、一日に10食は食べられません。
これに対してサービス単価(付加価値)を上げるというのが一つのアプローチです。
300円の牛丼を一日10杯も食べられませんが、1000円の特上牛丼3食なら可能です。

・「そんなに欲しいものはもうないよ、テレビ、パソコン、エアコンも一応あるし」
という贅沢な、内容面での制約もあるでしょう。
 その場合には、「新しく匂いの出るテレビを開発したよ」といって
 誰かがそれは是非欲しいと言えば、新規需要が生れます。
イノベーションですね。

・また「国外との競争力」は結局必用です。
売り手はAとBの2人だけでなく限りなくたくさんいるので
Aがサービスを売りたくても、生産性に劣ると
買い手は優れて安い(生産性が高い)サービス提供者に集中します。
 もし、そのサービス提供者Xが外国の人なら、その需要は外国にとられます。 
 それを防ぐにはXより生産性(付加価値と価格)を上げる必要があります。
 (あるいは関税とか輸入保護的措置をとることになります)

・あるいは「格差と富の偏在」もありましたね。
競争力のある人が日本人のMさんでも、そこにお金が集中しすぎると
 お金のあるMさんは「もう欲しいものはないよ」病になり
 他の人は「欲しいものがあるけど金がないよ」病になり、
 その格差から動かせる社会の金が少なくなってしまいます。
→その場合は、もし他の誰かがMさんの欲しいものを頑張って作り出せれば
Mから他の人にお金がまた動き、そのお金は回っていくでしょう。
→あるいはG(政府)さんが現れて、Mから強制的に1兆円とりあげ、
他の人に分配すれば、やはりその人たちの需要を作れます。
(取り上げずに、1兆円と書いた紙を印刷してばら撒くという話もありますが)

資産課税をまともに考えてもいいのではないか

実際は、金はある所にはあるのです。
下の記事は、資産の分布とその世帯数に関する記事です。
https://www.nri.com/jp/news/newsrelease/lst/2020/cc/1221_1

例えば、図の富裕層(資産1億以上)の金融資産330兆円に年1%、
準富裕層(5千万以上)の255兆円に0.5%で課税すると、合計4.5兆円くらいで
それを労働政策と教育と研究投資に全投入して、社会全体で生産性向上に努めれば
経済が活性化して、その結果富裕層の金資産価格も上がり
結局みんなハッピーにならないでしょうか。
(リンクの図は富裕層「世帯」なので個人ベースだと別の数字になるでしょう。)

所得税を取られた後で資産課税もするのか、という怒りはわかりますが
その層は、資産を税率以上の利回りで運用する術を知っているような気もしますし
今まで相続税や所得税の最高税率を落としてきたり、
金融所得の分離優遇税制もしてきましたので
ある程度の課税は社会のため容認できないでしょうか。
もしかしたら、経済成長で株価も上がり、結局儲かってしまうかもしれません。
いずれにせよ、あの世まで金はもっていけないのですから、いいことしましょう。

政治力学的には、「圧倒的多数(=9割)が得する政策」ですので、
「支出用途が理屈の通ったものなら」は実現可能ではないかと思います。
こんな主張すると、お金がない人だとばれてしまいますね。

例えば高額な資産税を払っている人には、それがわかるバッジを送って
それをつけている高額納税者にはみな感謝するとか、納税番付を発表するとか、
モチベーションを高める仕組みがあるといいかもしれません。
これは冗談ではなく、回すべきところに金が回らないという理由で
経済全体が低迷していくと、バブルじみた金融緩和政策が行き詰ったところで
株や不動産などの資産価値も結局落ちるのではないでしょうか。
(その時には海外資産に買い替えればいいという考えかもしれませんが…)

結局、徴税は社会合意です。
仮に、技術的には資産課税が可能だとすると
5000万円の金融資産がある場合、税率0.5%なら毎年25万円ですね。
このブログの読者にもそのくらいの資産を持つ人は少しはいるでしょうけれど
「あなたは」社会のために毎年それを払ってもいいですか?
あるいは、資産をどこかに逃避させるなど、いかに逃げるかに頭を使いますか?

仮に富裕層だけでなく全ての世帯(個人ベースの方のデータがないので)の金融資産に
0.3パーセント課税すると、この図に基づけばやはり4.7兆円くらいです。
1000万円の預貯金や株がある世帯なら毎年3万円の増税です。
どういう条件ならあなたはそれを払ってもいいですか?

自分が払うと考えれば、政府支出に対して非常にシビアな見方になるでしょう。
どうしても出すなら、絶対無駄なことに使ってくれるな、ということです。
それが普通の人の感覚だと思います。
だから、それがたとえ主に富裕層を対象の課税であった場合でも
「財政支出の内容が非常に大事」です。
そして本当に価値ある社会投資に使うならば、社会合意は得られるかもしれない。
政治家たちはそういう風に感じて、一つ一つの政策を提示できていますか?
政府が金を出す、ということは、あなたもお金を出すということです。

資産課税には技術的な難しさ(その時点での株や証券の金融資産価値の査定)
資産逃避(外国の口座に資産を移すなど)の問題などが指摘されてきました。
しかし、徐々に技術的にも、海外資産把握の国際協力関係的にも
実現の環境が整いつつある、という見方も広まりつつあると思います。

もちろん、現総理大臣が「1億円の壁」というように、
金融所得課税強化、特に金融所得が給与所得より多い富裕層における、
金融所得課税強化を行うことの方が技術的には直ぐにできることであり
大企業法人増税なども含めて、
まずは現在提案されているような今できる方法で金を社会に回すことになるでしょう。

ただ先を考えると、資産課税という税制度には、資本が資本を生む社会において
現在の資産という最終的な結果に対する何%という課税ですので
「公平性に関する強い納得感」が得られるのではないかと思います。

例えば、ある人の資産形成の過程は様々あり
こつこつ給与で稼いで貯蓄した人もいますが
相続することで大きな資産を持つ人も多いでしょう。
そしてその相続資産をさらに運用して増やします。

一方で資産があっても、運用に失敗すれば、資産が減ります。
すると、その結果の資産課税額も減ります。
(金融所得は、基本的には、資産増加=収入に対してのみ課税)
あるいは、世のために大きな寄付をして資産が減れば、課税対象が減ります。
そのような様々な行為があっても、その最終的な結果の資産に課税するわけです。

既に、不動産やその他の固定資産に対する固定資産税がありますので
金融資産に課税できれば、富=資産を持っているという事に対して
毎年、低率に税がかかることで、
一つは、あまり使われない金を社会に回して需要拡大させるインセンティブになり
もう一つに、財政を支え、そして社会の格差をある程度「資本主義の下で」是正できます。

消費や、収入に対する課税でも、再分配効果を持たせる様々な方法がありますが
世代を超えた資本の蓄積に対する結果をとしての資産に課税することは
公平性の観点からは非常にシンプルです。

畢竟、資本主義という制度を考えた時
株主資本に変えることのできる資産こそ株式会社等の組織体の決定権力の源泉であり
単なる経済面だけでなく、メディア企業も情報産業も軍需企業もみな株式会社であり
あるいは様々な寄付等を通じて政府も動かしていく
資本主義社会の権力の主要な源泉であるならば 
その資産自体をある程度毎年再分配することは、
社会の公平性の点からわかりやすいシステムと言えないでしょうか。

資本主義社会、それは私有財産制や自由市場取引、
株式会社というシステムなど色々含みますが
このように金融資産が実物経済を離れて膨れ上がり
(それは恣意的な政策的資金にも支えられ)
資産が資産を生む形で富裕層により富が蓄積していく社会にあって
資産課税制度は、人々が資本主義自体を否定せずなんとか持続させるために
政治的にも経済社会的にも合理的かつ必須のシステムの一つではないかという気がします。
逆に将来の課税ポートフォリオの中に、
金融資産課税が含まれていない可能性の方が低いと私は考えます。
(加えてもう一つに資本主義経済の安定化に有益なのは
無駄な投機を抑えるための低率金融取引課税=トービン税でしょう)

温室効果ガス一つとっても、平均的には富裕層の方が多く発生させているので
温暖化対策に対する費用をより負担すべきであり、
そして実際にその費用をどこかから捻出する必要があるわけですから
炭素税などの考えもありますが、
資産課税もそのような側面をある程度含んで機能できるでしょう。

先ほど、政治的には9割の人が得する政策と書いてみましたが
実際に今見たような資本主義における権力構造を考慮した場合
資産課税は、政治力学的に考えて、放っておいてマスメディアが
積極的に情報番組で紹介してくれる話題ではないので、
本当によく考えて合理的に必要なシステムであるととらえるなら
社会的合意を得るため政治家たちが頑張って説明し
普及させていくしかないということです。

資産課税の中には、増加してきた法人の内部留保に課税をする考えもあります。
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20210901-OYT1T50166/
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/303039
484兆円ということで、この中には、店舗とか不動産とか
金融資産以外の資産もあるでしょうけれど
仮に単純に0.5%課税すれば2.4兆円になります。
もし、儲かっている(剰余金)にもかかわらず賃金として分配しないなら
そのようなことも考えてよいのではないでしょうか。

個人や世帯に対する資産課税とミックスにすれば
双方に対する税率をより下げられるかもしれません。

あるいは、生活保護とか最低賃金とか年金とか
社会における全ての比較的厳しい層の収入を消費者物価上昇率にリンクさせた上で、
国債を中央銀行に買わせ続けて諸政策を行い、
その結果、+1%のインフレが起きて資産価値が減るのなら
1パーセント資産課税と概ね似た効果になるかもしれません。
(円が下がるなどの副作用は出るかもしれません)

しかしその場合も結局は、その国債資金で何をするのか
だから何回も繰り返しますが、支出内容が最も大切です。
第3回のMMTの部分でも触れましたが 
支出の内容(その効果目的)がよくわからない抽象的な財政拡大論は
中々支持を得にくいのではないかと思います。
財源が税であれ国債であれ、人々に負担を強いる以上それは常にセットです。

外需も内需も伸びしろは無限といえば無限

抽象的な需要の話を続けてきましたが、
今後どんな分野の需要が伸びていくのでしょう?

突然ですがSTEM(教育)という言葉があります。
Science・Technology・Engineering・Mathematicsの頭文字をとって
つまり理数系、理工学がこれから大事ですね、という意味で使われますが

恥ずかしい話ですが、初めてこの用語を見た時
今後伸びる産業分野の頭文字かなと勘違いして、
あれこれ推測してしまいました。その時私が思ったのが
Social Service・Technology・Energy・Medical Careの4つでした。

しかし、ちょうどこれらの分野は「需要が無限」にあることを感じさせてくれます。

・Social Service 
先進国においては高齢化による介護の拡大
他の全ての投資の元となる人への投資としての教育、保育
高度な技術や医療や感染症対策も含む医療・保健

・Technology 
テクノロジーの発展自体によって新規に起きる需要
例えば、ビッグデータ、AI、ロボット、VR…
(or Tourism これは+αの時間の使い方の需要)

・Energy 
カーボンニュートラルとエネルギー転換に伴う世界的な需要
発電だけでなくインフラシステム、EV,省エネ
それらを管理するシステムやサービス全て

・Medicine
生命工学、健康、能力開発、アンチエイジングetc..
人間の欲望は無限なのでこの分野には無限の需要がある

何を言いたいかというと、結局外需も内需も潜在的には無限に近く
技術や創意によって新しい需要を生みだせればアクセスできます。

そのためには、教育と研究に投資したり
そのような産業へ労働力を移動させていくなど
産業の構造を質的に変化させていくことが
景気刺激のための減税や給付とは別に必要であることは
多くの人にも理解できることだと思います。

少なくとも、もし世界の優等性になりたいのならば
その需要にアクセスする「技術力等」は欠かせないでしょう。

需要拡大について長々と見てきましたが、それらを合わせた時
先の選挙で与野党から「成長が先か分配が先か」みたいな
話が繰り返されていましたが、
その言い方自体に私は違和感を覚えていました。

うがった言い方をすれば
①成長しても分配がされるとは限らない(分配するかしないかは経営者の裁量)
②さらに経済成長してからでなくては分配ができない、ということはない
(現状でも富裕層資産や収入・企業内部留保を一部回すなり
国債発行や税制を変えるなど政府の裁量である程度の分配は可能)
③ただ分配しても、それほど成長するとは限らない
(分配が全部消費に回るとは限らない。
分配が生産性向上につながるとは限らない。
いずれ増税する必要も出てくる。外需は?)

全部組み合わせた結論としては
成長は分配を保証しないし、ただの分配も継続的な成長を保証しないので
・直ちに、「経済成長させるための」必要で効果的な(投資的)分配をせよ。
・人道的に必要な分配は「経済成長にかかわらず」せよ。
・「分配とは別に」直ちに産業の構造を改善せよ
・本当に効果的、投資的な政策を効率的に行う時に
政府債務はそれほど気にする必要なく、必要なら「堂々と負担できる層から徴税」せよ。
・それらすべてを「速やかに効率的に行う」ことに頭を使うべき。

という事になるのではないかと私は思います。
投資的政策の一つのとしての労働政策について既に見ましたので
他の部分を見ていきましょう。


②日本の組織の硬直性
1. 雇用賃金制度 メンバーシップ型とジョブ型?

生産性に関して一番議論になるのが雇用賃金制度だと思いますので、まず扱います。
雇用制度、特に解雇規制緩和と生産性を結びつける人は少なくありません。

「余剰人員を首にできれば生産性があがる!」という経営者の声が聞こえます。
「雇用が不安定化し労働環境が悪化するだろ!」という労働組合員の怒声も聞こえます。

また年功序列型賃金体系もしばしば批判の対象になります。
業績を上げた人に給与で報いることに反対する人は少ないですが
全体の人件費バランスの中で、給与下がる方々の抵抗感は強いでしょう

派遣労働の是非も同様です。

これこそまさに、「立場」によって意見が違い、
決して相容れることはない政策課題の典型に思えます、

政策の参考として、興味深い記事を幾つか紹介します。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00271/031900003/
こちらはヨーロッパの雇用についての記事で、現在
雇われた時にどこに配属されるかわからない日本のメンバーシップ型雇用から
職務内容を明確にして契約する欧米のジョブ型雇用へ移行をした方がいい、
と言う意見が時々聞きますが、勘違いしていませんか、という内容です。

欧州のワークライフバランスがしっかりしたジョブ型雇用は
年収は300~400万円程度の比較的定型労働(高卒、専門卒など)
(あるいは500万程度の大卒の中間管理職層くらいまで?)で
エリート層は、実際はもっと休みなく働き
エリートとノンエリートの区別は日本やよりもしっかり分かれている
概ねそのような内容だと理解しました。

https://www.direct-recruiting.jp/topics/knowhow/category_010491/detail_0036.html
同じ書き手の講演を元にしたこちらの記事は、
年齢と給与の関係から日米欧の雇用について見ています
日本は正社員は誰もが管理職になる可能性がある年功序列型賃金で
年功序列的仕組みのため、50代なら大部分が何らかの役職についている。

欧米は30歳程度で、道がエリートか平社員のままか分かれることが多く
エグゼンプション(残業代が払われない=管理職)の率は
30代からむしろ徐々に下がっていく。
記事の最後には、女性の働きやすさの観点からの比較も書いてあります。

もちろん欧米にも色々な国があるでしょう。
記事内容にどこまで一般性があるか私には判断がつきませんが
総じて、欧州では上級管理職になる層が
最初から、あるいは早くから絞られており
雇用体系、また給与体系もそれに応じている、
つまり、以前紹介した1995年の経団連の新日本型雇用の提言に近社員構成
という事になるのかな、と思います。

逆に、従来の日本の企業制度の方が、
正社員として入社すれば誰でもトップ層へ上がる可能性が
一応あるということになるでしょう。

次に解雇規制に関して、
日本でジョブ型雇用の方がいいと主張する人の中にも
・ジョブがなくなれば解雇できる、という側面を意識して言っている人と
・解雇規制は変わらず、ジョブがなくなっても配置換えなどして雇用は保証され
仕事内容をはっきりすることで、契約外の仕事や残業、異動がなくなるのでいい
という視点で言っている人もあり、思い描く姿は一様ではないです。

下の記事は雇用を流動化させて、余剰人員の首を切っても
それほど生産性向上につながるとは限らない、という内容であると理解しました。
https://toyokeizai.net/articles/-/268298
デービッド・アトキンソン 「社員を解雇する権利を求める人が知らない真実」

解雇された人が、より生産性を発揮できる形で再雇用されなければ
解雇自体によって社会全体の生産性は改善しないし
その企業にしても、ただ首をきっただけではコストカットしても
付加価値が増えるわけではなく、余剰資源を投資などに回さないと成長しない

という内容だと理解しましたが、
それは実際にこの20年くらい、非正規雇用拡大の中で
社会全体に起こったことをある程度説明しているのだと思います。

つまり、ここ20年くらい、既存従業員の解雇は難しいので
新規採用を抑えて非正規雇用を4割近くまでに増やし
ある程度は雇用の流動化を達成したものの
既に見てきたように経済が停滞している状態を考えれば
ただ、さらに正社員を解雇できるようにしても、
同じことにならないか、ということです。

すると先に結論の一つとして言えることは、
人減らし以外の「経営側の改革」が必要なのでしょう。

2.雇用の流動化
雇用規制の緩和とは、例えば規定された金銭的補償を払うことで、
今よりも容易(条件を緩和)に、解雇が可能になるというようなことです。

まず日本の解雇規制がそれほど厳しいのか、ということについて様々な意見があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E8%A6%8F%E7%A4%BE%E5%93%A1%E3%81%AE%E8%A7%A3%E9%9B%87%E8%A6%8F%E5%88%B6%E7%B7%A9%E5%92%8C%E8%AB%96 
上は、Wikipediaの解雇規制緩和論についてのページですが
ページ上方にある、OECDの解雇規制に関する各国指標が、
しばしばこの話題に関して言及されるものであり、
規制といっても、解雇時に払う金額とか、解雇することの条件とか様々な側面があります。
総合して考えた場合、日本の解雇しにくさはOECDの中で
平均的なレベルなのではないでしょうか。

OECDに日本が主に指摘されていることは
いわゆる正規社員と、非正規社員による格差であると理解しています。
解雇規制に限らず、賃金(同一労働同一賃金)なども含めて、
格差を是正せよ、ということではないかと思います。

例えば正社員と非正規社員はその身分保護の条件が違っており
正社員の整理解雇の要件には、先に非正規の社員を解雇する、
ということが実質的に含まれているのだと思います。

整理解雇の4要件というのは
①人員整理の必要性
②解雇回避努力義務の履行、
③被解雇者選定の合理性
④解雇手続きの妥当性
であり、非正規社員を先に解雇するのは、③に恐らく含まれるでしょう。
そして非正規社員が増えてきたこと自体は、
②において、まず新規採用の停止、という解雇回避努力が求められる
ということは影響していると思います。

そのような形で、解雇規制のせいで非正規社員が増えてきたという指摘があります。
確かに、正社員が解雇しにくければ、
企業は非正規社員を増やすのは、ある程度事実だと思います。

一方で、主に中小企業、非組合員は、実際に解雇要件などあまり関係なしに
退職圧力がかかっているのではないか、という指摘もありますね。

そして、正社員の解雇規制緩和の効果に関しては異論も強いです。
https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio284-3.pdf
https://www.works-i.com/column/works03/detail055.html

上の2つはどちらも解雇規制と用語検索して出てきた記事ですが
一つ目の弁護士による雑誌記事は、
アドレスから連合総研にアップされている記事のようですが
解雇規制全般が雇用悪影響という意見の背景がわかりやすいと思います。

下の方のリクルートワークスの記事の一読をお勧めします。
これも、解雇規制緩和に抑制的な意見の記事ですが
現在でも、実際は様々な形で賃下げや解雇がある程度可能であるということ
しかし、被雇用者が、自分の会社の雇用賃金制度をよく理解していないことが多い
その問題性を指摘しており、その通りだと感じます。

最終的には、インフォームドコンセントとでもいえばいいでしょうか
しっかり雇用や賃金について情報を知らされて、
労使ともに責任をもって雇用契約を結ぶことが大切なのだと思います。

そのうえで、先ほど述べたように、もし恒常的な「売り手市場」が作れれば
賃金と同様に、そのような企業等の雇用形態や賃金制度についても
被雇用者側が就業先を選ぶ際の、材料の一つにできます。
そのような形で、上方指向の雇用の流動性により
企業側も、優秀な人をとり長期就業目的で、条件を整えることが望ましいと思うのです。
企業側からすると優秀な人ほどどんどん転職してしまう
ということになるかもしれませんが、社会的な生産性は上がっていくでしょう。

それらを踏まえた上で、解雇規制緩和自体についてもう一度考えると、
上手くいくなら「緩和してもしなくても、どちらでもいい」のではないか
あやふやで申し訳ないですが、私は正直そう感じます。

現在、ある企業でスタッフに余剰感がある場合には、
まず経営の仕方を見直し、そして必要であれば希望退職を募って、
それで本当は去って欲しいと経営者が思う人材が残る場合には、
配置を変えたり、契約でそれが可能なら根拠を示して給与に反映させ
経営側、管理職とその従業員双方の努力で、
その余剰感のある人員の生産性を上げる
その変化を起こすために一緒に頑張る、
ということができるし、実際やっていると思います。

人を雇った責任、勤めてもらったことに対しての責任はあると思うのです。
人生とは時間であり、相当な時間を職場で使ってもらっている
つまりは、命をわけてもらっているわけですよね。

今の制度でも、不良社員などは、証拠を集めて改善を促し、
駄目なら根拠を元に解雇したり
企業の業績が悪い場合は、とれる処置をとれますし
整理解雇も、先ほど見た要件をみたせばできます。

「今後の採用」に関しては、ある部分は、有期雇用とか派遣とかも含め利用する
(ただし年俸を高くするなどして優秀な人を雇う?)
賃金に柔軟性を持たせる契約にする(基本給を抑え業績給を増やす)など
様々な手段で、人件費に度弾力性を持たせることも可能だと思います。
その内容は、しっかり労使契約前に提示します。

解雇規制緩和に抑制的に感じる理由の一つは
それが、単に経営側の立場を労働側よりさらに強くするだけなら
社会の生産性の向上に役立たない、という事だと思います。
言い換えれば、経営者をより甘やかすことにならないか、ということですね。
それによって、ますます人件費削減によって安易に利益を確保しようとし
本当の経営改革努力のインセンティブをそぐ、ということです。

ただ労働者の首を切っていくより、経営者が何とか経営改革努力をする方が
社会の生産性の向上にははるかに有益でしょう。
会社はトップダウンの組織なのだから
それだけ経営者のやることが重要であり
もし、その経営者自体の能力が足りないならば、
その経営者が変わることが必要であり、
それを労働側に転嫁して阻害してはいけないという理屈にもなるでしょう。

しかしながら、一方で、上のアトキンソン氏の記事のを引用すると
「生産性向上に徹底的にコミットし、グランドデザインを描くのであれば、その一部として、解雇規制の緩和も考える価値はある」とありますが、
この記事が正確にどういう観点から述べられているか私にはわかりませんが
全体のデザインの中で、条件が整えば、それはあり得るとは思うのです。

例えば、今後、再エネ転換やDXによる合理化など
様々な産業構造転換の中で、一時的に相当な余剰人員が出て
希望退職だけではどうしてもスムーズに労働力の移動が達成できない
という可能性はあるのかもしれません。

そのような労働力移動のニーズは、
変化の激しい社会の中で、小さい形でも様々な分野で生じる可能性があります。

もし「十分な条件と環境整備と引き換えに」
雇用規制を緩和し雇用をより流動化することで
総合的に見て、皆がハッピーになる社会をデザインできるなら
それはありうると思います。

その時の十分な条件と環境とは、私も正確にはわからないですが
・その人が解雇されることに対する明確な根拠の説明
・十分な解雇手当のルール(年収と勤続年数などに基づき諸外国の制度を参考に)
・同意できない時の訴訟システム
・失業手当、公費による再雇用と職業訓練提供(雇用保証やそれに準ずる強力な労働政策)
・セーフティネットとしての最低賃金引上げ
・解雇権に伴う労働環境悪化を防ぐ厳しい措置
(サービス残業、パワハラetcを労基局が厳しく監視し、
通報制度やその他の措置を強化徹底)
・人員削減に伴う残された従業員の長時間労働を防ぐ措置
(後でワークシェアのところで述べますが、残業割増賃金率を上げる?)
・機会の均等のための教育への公費拡充

このような一連のセーフティネット、かつ生産性を引き上げのための
労働政策、社会保障政策、産業政策の中で
解雇規制を緩和して解雇されることの人々のダメージを吸収し、
失業者がすぐに無料で訓練を受け、新しい産業などで再雇用され
国全体の生産性も上がり、経済も活発化する、
そのような社会デザインの可能性はあるのではないかと思います。

懸念の一つには、
いずれさらに産業の改革できず経済全体が行き詰ってくると
解雇規制を今こそ緩和しないといけない、という世論形成が強まり
もしそのような流れで一方的に解雇規制「だけ」が緩和されると
合理的なセーフティネットが存在しない厳しい状態になってしまう可能性がある
(なぜなら元々一方の立場のみ考えがちで、
軍事費は増やしても社会保障費、労働政策費用などは削りたいから)
そのような危険性が近い将来あるかもしれないと思うからです。

そうであれば、労働組合や様々なステークホルダーも参加し
トータルでプラスになるような様々な環境を条件にして
無理なくよりよい方へ進める国民的な妥協点を
積極的に見出すこともあるのではないか、という気はします。
そのような制度を作ることは、数か月でできるものではないでしょうから
相当な期間、社会的に議論する、とうことが欠かせないでしょう。

雇用賃金制度というより格差是正を
採用や賃金などの人事制度は各企業の戦略の一部であり
業務内容と必要な人材に合わせて最適な形をとるものだと思います。

人口増加、安定成長を前提に全従業員に終身雇用年功序列賃金で雇う
という形は多くの民間企業にとってはますます難しいのではないかと思いますが
それも結局は企業の採用戦略等としての選択であり
例えば社会インフラとか、比較的安定産業にある企業で、
将来まである安定収入を見込んだうえで、
安定雇用を売り、それを望む優秀な人材を集めたいと判断した場合
例えば、最初から計算して、20代30代の内は相当賃金を抑え
全員の給与が退職まで上昇が給与体系を作ることも不可能ではないと思います。

しかし多くの企業は今後より業績や職務内容を反映した
賃金体系に変化していくのではないかと思います。
何故なら、生産性を上げるという方向性で考えれば
職務内容と給与のずれをなくしていく、
実績や職務に応じて給与が決まるということがより効果的であり、
それは多くの人が否定しがたいことではないかと思います。

例えば人事とか総務とか中々業績の図りにくい業務もあるでしょうが
その業績を図ろうとする技術や仕組みも、試行錯誤の積み重ねで、
少しずつできていくのではないかと思います。
採用の仕方も人事も様々な改革が必要になるのでしょうし、
また、現在実際行われていると思います。

社会的にもっと業績を評価する意識が強まっていいのではないかと感じます。
賃金制度とは全然違いますが「賃金が低い」と言われるサービスの分野に関して、
何でも欧米のやり方がいいとは思いませんが
例えばチップのような形で感謝をお金で表す習慣もあっていいのに、
と思うことがあります。

つまり、サービスのよいウェーターや介護士に
すっと500円でも1000円でも包むみたいな感じです。
それが溜まっていくとある程度の金額になるでしょうし
サービス改善へのモチベーションにもなるのではないでしょうか。
会社も方も、色々な細かい報奨金を設けて楽しくモチベーションを上げる、
そんな文化が育ってもよいのではないか、と時々思います。
(その場合チップ(贈与)はある金額まで非課税でいいのではないでしょうか)

年功序列的賃金がいい人は、そのような形の企業を選んで就職すればいいでしょう。

少なくとも、求職者の適切な選択を可能にするために、
給与や福利厚生について、採用面接や採用前に、
確認したいことが遠慮して確認できない
という事がないことを当り前にしたいですね。

さて、OECDに指摘されているような
正社員と非正規社員の相当に開いた格差の問題を考えた時
例えば、最初の方に紹介したヨーロッパに関する記事では
300万~400万円程度のジョブ型雇用ノンエリート層は
定形に近い労働で、熟練すれば仕事を早くこなせるようになるので
それ以上あまり給与は上がらないけれど
ワークライフバランスをエンジョイする、というイメージが描かれていました。

きっとこの場合、もっと稼ぎたいなら副業するか転職する
ということになるのではないか思います。

これと現在のワーキングプア層も含んだ日本の非正規社員との違いは
・時に賃金が安すぎる
・正社員ではないから福利厚生に薄い
・雇用が安定してないと、スキルがたまらない
という事ではないかと思います。

従って、最低賃金を上げ、
公費による職業訓練、雇用の保証を行い
パートタイマーでも同一労働同一賃金を徹底し
違法悪質労働取り締まりも強化する、
そういった一連の労働政策が必用ではないでしょうか。

フルタイム正規社員であるか否か、ということは働く側の希望がありますが
最低でも今の物価ならフルタイムで年収250万程度から「始まり」
仕事に熟練していけば最低300万~400万程度にはなり、
それ以上さらに稼ぎたいならば、さらに訓練を受けて転職したり
同じ企業の上位職にポストがあれば応募したり
様々な方法で自分の力を発揮することが妨げられない
ということであれば、まず社会的に大きく
貧困や劣悪な労働環境が問題にならないのではないかと感じます

さらに、一方で、日本のエリート、ノンエリートを分け過ぎない部分を生かし
「上昇方向での雇用の流動性」が確保できれば(退職金制度なども影響するでしょう)
よりいっそうモチベーションが上がり生産性も高まる
都合のいい話に聞えるかもしれませんが、
そのようにデザインすると社会の生産性は高まると感じます。
(しかし賃金上昇を受け入れるなら、留まる人、下がる人もいるのも理屈です)

その時、恐らく重要なことの一つは、
機会の不平等が起きないように、教育の公的負担や
介護などの基本的社会福祉を十分にすることでしょう。

つまり年収300~400万程度(あるいは生活保護受給者)でも
その子供が大学等の高等教育機関への進学を望むなら行けるように
教育に対する公的投資をしっかり行っていくことです。
国家として人を育てる、ということをしないと
社会全体の生産性も上がらないし世代を超えた格差も是正できないし
子育て不安から、少子化傾向も転換できないでしょう。
この話題は、次回扱うつもりです。

ちなみにこの「定形的労働」というのは、
決して楽ということではないと思います。

例えば、先日、牛丼屋で働いている人を観察していましたが
注文もタッチパネルに代わっていて、2人で店舗を回していて、
とにかく忙しく調理して給仕して、
今はコロナで、テイクアウトも多いのでそれもさばいていて
ところが途中でその注文の機械が壊れたらしく
本部と連絡をとりながら、手で注文を取り始め
当然調理も給仕もしなくてはならず、大忙しそうでした。

例えば生産性を上げるため人を減らして機械を導入するにしても
まずその機械について学ばなければならないでしょうし
その中には壊れた時の対応だって含まれていますし
恐らく発注業務とか、衛生管理とか
他の様々な業務も同時にしているでしょうし
人の入れ替わりが激しいなら、しばしば後輩を教育することも必要で
従って楽ではないし、学ぶ力もコミュニケーション能力も全部必要で
はっきりいってもはや定形労働ともいえず、
そういったことを恐らく最低賃金に近い金額でやっています。

コンビニの定員をみていてもそうですよね。
実に様々なサービスを扱っていて、
つまり新しく覚えることも多いでしょう。

ですので、必ずしも大変だから賃金が高い、簡単だから安い、
ということではなく、価格は需要と供給で決まりますので
最低賃金に近い理由は、エントリーが容易で誰でもなれる仕事である、
つまり労働供給可能性が多いということが主な理由としてあるでしょう。

看護師の資格とか、3年間のその分野での職務経験とか、
何であれ、希少性を増す要素が必要な仕事は、
その分が給与に反映されることになるのではないかと思います。

ですので、賃上げと生産性の向上には職業訓練や教育の機会
経験をつむことのできる安定的雇用がやはり重要であると思います。

結局は経営者次第

生産性は向上は、どのような雇用、賃金制度かということより
日々のオペレーションをどのように行うか、
その意思決定仕組みとか、IT化の度合いとか、
実際の仕事の仕方の面の方が大きいのではないかと感じます。

無駄な業務や会議をなくすとか、アイデアを生まれる職場環境を作るとか
若い人も含めて能力のある人に仕事をまかせて積極的に育てるとか
そういったすべてに一番影響力が大きいのは経営者ですので、
政策的にどうするかというより
経営者と社員たちが頑張るしかないのではないかと思います。

制度的に、もし株主から短期的利益を求められている側面が強まり
それが継続的な会社の運営の阻害要因になっているのであれば
そのようなコーポレートガバナンスに関する法改正が必用なのかもしれません。
詳しくないので何とも言えませんが
それは政治的に行えることの一つかもしれないと思います。

2.スケールメリットとデジタルトランスフォーメーション(DX)

他に生産性と日本の組織に関する課題として指摘されることに
日本は中小企業が多く、またその事業規模が小さいので
スケールメリットが生かせず、生産性が低い、ということがあります。
先ほど紹介した、アトキンソン氏の記事にもありました。

例えば企業のIT化を行うとしても、組織内に十分な人材がいないと難しいですが
企業規模が大きければ、より多様な人材をそろえられます。

「スケールメリット」という言葉がありますが
それによって、効率的に設備投資、事業展開をする
そのことで生産性が上がる、それはある程度一般性があることだと思います。

例えば農業のような一次産業も、ある程度の集約化によって生産性を上げる
とういことがしばしば指摘されることもあります。

しかし一方で、少人数企業でも高い生産性を誇る企業もあります。
様々な外部サービスを利用しながら、自企業の従業員はコアの業務に集中したり
あるいは、様々な形態での他組織との連携をすることで
小規模企業の形態を維持しながらスケールメリットを生かす方法もあるでしょう。

ですので、生産性が上がらないことを
単純に企業規模に帰していいのかという疑問は感じます。
逆にどのようにしたら大規模化するのか、と考えると
事業が買収されるのか、潰れてその需要がより大きな企業にとられるのか
そういった変化も、農業政策など補助金が多く流れているのでなければ
政策的に強制的に大規模化させるというのも簡単なことではない気がしますし
(中小企業の優遇措置を削ったり、その定義を変えるなど?)
それが良い方法なのかもどうもよくわかりません。

そして、ずっと何回か先の、(4)の富の保全(分散型経済)で考えたい話題ですが
事業体の組織形態(株式会社とか協働組合とか自営業とか)は、
組織の意思決定の仕組み、資本の分配に直結し
それは多様な価値観による、多様なサービス、
人々の働き方、その地域の文化の在り方など
様々な要素に影響を及ぼします。

一般的にはより多くの人が自立的、自律的に組織運営したいと思うと
より小さな事業体が増えることになるでしょう。
そのような自立性も維持しながら、スケールメリットもある程度生かせるような
社会の在り方も模索できるかもしれません。

このような様々な観点から事業規模と生産性について
政策的に一概に論ずることは難しいと感じますので
結局個々の状況によるところもあり、ここでの議論はこれでとどめたいと思います。

3.ジェンダーとダイバーシティ

一般的にはある組織のジェンダーイクイティが高い方が低いより
より公平に能力が発揮され、従って生産性も高まることは
説明を要しない自明なことのように私には思えます。

また、多様性が生産性によい形で結びつくというのも納得できることです。
そのような姿勢で協力的に臨む人たちがいるという環境であれば
なおさらそうでしょう。

https://www.reloclub.jp/relotimes/article/10310 
この記事には、ダイバーシティ・インクルージョンによる
組織の向上が説明されていて
リスク対処も含めて書かれていて、参考になると思います。

政治的にできることというのは、
例えば103万円の壁とか、そういったあらゆる制度的な問題をいつまでも放っておかず
「具体的、制度的な解決策を国民に提示」し続けることによって
地道に社会的合意を取り付けて、変えることだと思います。
「具体的、制度的な解決策」というのは現状批判だけでなく、
「どのように変えるか」そのものずばりの提案です。

また、文化的な要素が強いわけですから
政治家もセレブレティなので、自らの実践で訴えることにも効果が有り
政党の議員の男女比率など、行動で示すこともできるでしょう。

ただやるべきことをやれる範囲でやるだけと思いますので
これもこれ以上細かくは書きません。

3.長時間労働対策とワークシェアリングとリカレント教育

日本の労働者の労働時間は長いです。
いや最近はそうではない統計がある、という話もありますが
実際は長いでしょ、という事を説明したのが下の記事です
日本の労働時間は世界より長い?日本の残業がなくならない理由と対策とは?

一億総括をやっていますので、
短時間労働者が増えて、「平均時間」が減ったという説明です。
2014年の数字で例えば男性のフルタイム労働者の労働時間は国際比較で1番長いです
働き方改革などもやりましたので、その後その効果が全くないわけでなないと思いますが。
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r02/zentai/html/column/clm_01.html
政府の統計でも、無償労働(家事など)も含めて
男女ともに労働時間が長い、ということのようです。

下は時間当たりの労働生産性の国際比較が載っている記事です。
「なぜドイツの労働生産性は日本より高いのか」
https://japan.ahk.de/jp/infothek/japan-im-ueberblick/motto-doitsu/012018-kumagai 

日本と同じ勤勉な工業製品輸出国のドイツですが
労働時間も短く、時間当たりの生産性は高く
有休付与日数も多く、そしてしっかりそれを消化しているようです。

さて、個人の生産性を考える時、一人の人間が長時間働けば
当然「一人当たりの生産性」はその結果上がりますが
人間、長時間集中して働けませんので
「時間当たりの生産性」は下がっていく理屈になるでしょう。
身体的に、皆さんよくご存じのことです。

集中力が落ちるだけでなく、仕事だけの生活になると
教養を養ったり、新しい人や場所と触れ合って知見を広めたり、
家族や友人と共に過ごす時間が減ってしまうと
やはり人間の幅が狭まって、
特にクリエイティブな側面や、業務改善について考えるなどの部分でも
生産性は低くなるのではないかと思います。

人間働いてない時間に、色々したり、考えることを
働いている時間にもってきているんですね。
そこが減ってしまうということです。

逆にその部分を増やそうという考えの中には
例えば、今、副業を勧める会社も増えているということもあると思います。

単純に考えても、長時間、生産性の高くない仕事をし続けて
プライベートな時間が持てないというのは
仕事が趣味という人以外の多くの人にとって幸せではないでしょう。
長時間労働は、日本人の幸福度を考える上での大きな課題の一つだと思います。

さらに、より少ない人間が限界まで働くことで、
他の人の雇用を奪っている、ということもいえるのではないかと思います。
逆に言えば、世の中に必要な仕事の量というものがあると仮定すると
労働者数が増えれば、1人当たりの労働時間=負担は減るはずです。

これもまた「雇用保証」による完全雇用のメリットの一つと言えると思います。
働けて働きたい人が皆働く支え合い社会とは
だらだらといつまでも皆が働く社会ではなく
労働参加率を最大化することで、1人1人の働く時間が少なくて済めば
その結果、幸福度が上がるでしょう、ということですが、これがともて大切です。

1人当たりの労働時間を減らすには労働者数を増やす必要があり
その逆もまたしかりです。
ですから、今まで最低「残業代なしで」250万円などと、あえて計算してきました。

労働者数を最大化し、同時に賃金の上昇、需要拡大による投資促進といった
生産性向上要素が加われば、さらに労働時間を短縮できるのが理屈です。

逆に景気がかなりよくて仕事が多くなれば、
その余裕のある労働者たちが少しずつ残業して弾力的に対処もできます。
それでも労働力が、足りなければ、
その時は、外国人労働者の活用や外国への業務委託などいろいろな方法があるでしょう。

残業削減と考える時代の学び直し

さて、何故労働時間が多いのかに関しては
無駄な作業が多い、規則に則るだけ、形だけの会議、報告書とか
様々な日本の組織の非効率的原因が色々あるのかもしれませんが
どのように適切な労働時間にしたらよいでしょうか?

残業を減らすために働き方改革などをやっている一方、
世の中にはそもそもサービス残業のようなものがある会社もまだまだあり
まず、そのような企業に対する役所の指導を強くするということは
最低限必要なことではないかと思います。

そのうえで、政策的に残業時間を減らしたいならば
例えば、残業代の割り増し賃金比率を引き上げるというのは
相当の圧力のある方法ではないかと思います。

それによって、より効率的に作業する必然性が生まれますし
また、残業代を増やすよりは1人新しい人を採用する、
という決断により雇用が生まれ、職場にゆとりができるかもしれない。

残業代を稼ぎたい人には残念ですが、
逆に、もしそれでも残業してよいとなれば、同じ時間でより稼げます。

全体的には、時間当たりの生産性は高まる方向に進むのではないかと思います。

同様に、最近はパートが増えてきたせいか、
ワークシェアリングという言葉をあまり聞きませんが
週4とか、一日5時間など、労働時間に弾力性を持たせながら
組織が上手く回るように環境整備することも一つの方法なのでしょう。

多様な働き方をサポートすることで、
育児など様々な事情で週5働けない人に優しい労働環境を作り
またワークライフバランスを達成し
時には、働きながら学ぶ時間を設けることもでき
そして、雇用も増やすという意味で、
少子化対策、生産性向上どちらの目的でも
プラスになるのではないかと思います。

その際に、パートタイムの労働者が不当に不利にならないように、
同一価値労働同一賃金を徹底が必要でしょう。

さらに短時間でも正社員として扱う「短時間正社員」という概念が
あるようで、政府がサポートしているようです。
https://part-tanjikan.mhlw.go.jp/navi/outline/ 

また企業の中には、週休3日制などを進めるとこも出てきています。
https://www.businessinsider.jp/post-237553 
週休3日と再訓練
https://www.businessinsider.jp/post-237091 
週休3日と給与

政策的にワークシェアリングを促進するには、
そのような制度が発展している国の制度を参考に
やはり様残なステークホルダーが議論して社会的合意を作り
普及させていくことが大切なのでしょう。
その際に、政府は情報提供したり、場合によっては
そのような制度を整えた会社に助成を与えるなどの方法があるかもしれません。

ワークシェアや短時間正社員で働けるのかは、
職場環境、仕事内容や、その人の個人の能力による部分も大きいと思いますが
今回、一貫して強調していることの一つは
「本当に必要なことをする時間を作ろう」ということです。

例えば雇用保証も、失業者が仕事を探す時間を最小化する仕組みであり
仕事をする時間、仕事のために訓練する時間は必要でも、
仕事を探す時間は基本的に無益で、それをなくせれば他のことに時間を割けます。

ワークシェアリングも残業削減も、
労働時間を減らして労働以外にできる時間を増やすことで
それがまた労働の質に還元されることが期待できます。

組織で働く人に、時間的ゆとりが出てくれば、
様々な部署にいる人がそれぞれに業務改善や新しい試みをするでしょう。
マイクロイノベーションとでも言いましょうか
平たく言えば、人は考える時間あれば、
自分で業務の方法を刷新していくものだと私は信じています。
また研修や、自己研鑽の時間をとることもできます。

逆に長時間余裕なく働くと、その仕事を終わらせるだけでいつもいっぱいで、
工夫とか新しいやり方を考える時間がなくなります。
新しいシステムを導入してそのやり方を覚える時間もない、という感じです。

さらに、現在リカレント教育が大切だと言われてもいます。
しかし、例えば、一回退職して1年大学院に入り直すということには
なかなかリスクを感じる人も少なくないと思います。

週3や週4勤務で、時間が週1~2日取れれば、
例えば勤務を続けながら、大学や大学院やビジネススクールで
新しく学び直したり、研究を行なったり
起業の準備をしたり、様々なことができるかもしれません。

リモートワーク、リモート学習が普及し始めていますので
そのような多様な働き方も、学び直しの助けになるでしょう。

リカレント教育の促進に関しては、
次回扱う、高等教育費の公費助成に年齢制限を設けず
またフルタイムの本科生だけでなく科目履修生も含めれば
金銭的にも多少負担感は減るのではないかと思います。

このようなリカレント教育、社会人教育促進は、
雇用保証で扱った手に職をつける再訓練でカバーできない
大学院やビジネススクールで得らえるような高度な教育や
ニッチな様々なスキルを身に着けることに役立つでしょう。

そのような教育を通じて普段とは違う人脈も広がり
やはり生産性向上、ビジネスのイノベーションにも
繋がっていく可能性があるのではないでしょうか。

長くなってしまいましたので、今回はここまでにしたいと思います。
  1. 2022/04/26(火) 21:30:50|
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①オンライン勉強会(5月14日(土)20:00~) ②情報戦は根気強く

** このブログは、エレクトロニック・ハラスメント
や集団ストーキング等と呼ばれている犯罪の解決のために、
主に一般の方にその内容を説明するために執筆しています。**


①オンライン勉強会(5月14日(土)20:00~) 

こんにちは。
つい最近まで寒かったと思ったら、もうゴールデンウィーク間近で、
時間の経つ速さを恐ろしく感じます。

表題の通り、エネルギー兵器問題に関するSTOPエレクトロニック・ハラスメントを
オンライン勉強会をGWの翌週末に行う予定です。

申し込み方法は、STOPエレクトロニック・ハラスメントのページをご覧ください。
申し込み方法

勉強会の焦点は、主に市民に対するエネルギー兵器使用の問題に関して
どのように社会認知を広めるかという方法や
その他の、具体的な解決のための活動が議論の中心の予定です。

ただ、エネルギー兵器問題一般に関心をお持ちの方であれば
この問題について詳しく知るよい機会だと思いますので
このブログの読者や、
STOPエレクトロニック・ハラスメントのHPの内容を読まれて
この問題について関心を持たれて参加いただいても結構です。

段々に、エネルギー兵器問題が、今、被害を訴えている人々だけでなく
自分自身も含めて社会全体に影響を及ぼすことであることを
理解し始めている方は、増えているのではないかと思います。
そのような動きを、サポートしてきたいと考えています。


②情報戦は根気強く

下のリンクは、ちょうど2年前の記事です。
http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-69.html

記事内容は、、ウィキペディア内の「エレクトロニック・ハラスメント」のページなどに関連して
エネルギー兵器問題に関して、加害者とのサイバー情報戦を
根気強く頑張らなければならない、ということを書いています。

それで、つい先日、またwikipediaの同じページを見て
2年前と同じ、偏った記述に対する違和感を色々感じましたので、
是非心ある方は、偏った情報にならないように編集をして頂ければ助かります。

2年前も、中々、全てに手を伸ばす余力がないのでみんなで協力しましょう
というようなことを書いたと思いますが、それは今も全く同じ気持ちです。

ところでちょうど、今ウクライナの紛争があるために、
部分的には日々「戦争報道」がなされているわけですが
とらえ方は様々であると思いますので、詳細を論じませんが
「戦争報道」というものは、常にプロパガンダが前面に出るものであり
それは、闘っているどちらの側もそうですね。

それをマスメディアの側も受け入れてしまうのは、
やはり、「メディア報道は戦争の一部である」からだと思います。
マスメディアの報道は、軍事活動における戦略の対象であり、手段でもあり
(なぜなら戦況に十分に影響を及ぼすので)
ある意味一体である、嫌でもそうなってしまうことを
メディア人も拒みにくい、ということがあるのではないかと推測します。

しかし、もし軍事というものがエネルギー兵器システムも含めて
今後さらに日常にビルトインされていくようになると、
そのようなメディアと軍事の一体化の形も
より見えない形でも、日常化されていくのが理屈ではないかと思います。

それは秘密主義であり、独立性を失っていく傾向があり、
メディア本来の望ましい形とは相容れないものだと思います。

中々わかりにくいことを書いていますね。

とにかく申し上げたいことは、題の通りで
もし、そのようなあまり望ましくない環境があるとするならば
私たちがすべきことは、諦めず、根気強く
本来伝えるべき情報を伝えていく、
それに、継続的にとりくむ、ということに尽きるでしょう。

みんなで協力して、引き続き頑張りましょう。
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  1. 2022/04/26(火) 19:56:32|
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雇用保障による完全雇用政策

第1回「劇場型政策決定システム」http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-91.html  
第2回「税と社会保障(前)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-92.html   
第3回「税と社会保障(後)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-93.html 
第4回「安全保障政策(前)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-101.html
第5回「安全保障政策(中)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-102.html
第6回「安全保障政策(後)」 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-103.html

「市民による市民のための政治」の第7回、経済政策(1)です。

現在、新政権によって、成長と分配の良循環を目指す
「新しい資本主義」が訴えられています。
しかし、今までの政府の経済政策と大差ないという意見もあります。
私たちにとって現実的なオルタナティブの経済政策は何か、それがテーマです。

既に第2回~3回で、税制と社会保障政策についてある程度見ましたが、
ここではより広く経済政策について考えてみます。

このブログで何故このような政治の話を扱うかについては第1回をご覧ください。
長い記事ですが、経済は関心のある方も多いトピックですし
少しずつ気楽に読んでいただければと思います。

日本経済の課題と強み

現在の日本経済の課題を挙げてみますと
・バブル崩壊後30年にわたり長期的に経済成長に乏しい
(新興国だけでなく多くの先進国と比較しても低成長)
・少子高齢化という労働力減少、需要不足と、財政赤字という制約を抱えている
・非正規労働が拡大し、平均給与が減少し、格差が拡大しているという実態
・天然資源に乏しい(といわれている)
・イノベーションが起きていない、生産性の伸び悩みがある
・内向き?(外国人労働者、移民の受け入れには抑制的であり、英語力は高くない)
といったことがあるでしょうか。
また、万国共通の要素として、カーボンニュートラル達成という制約があり
さらに現在は新型Covid-19による活動制約とダメージがあります。

一方の、日本経済の強みは
・未だに世界第3のGDPと大きな国内市場を持っている
・国際競争に耐えて工業品やサービスを輸出のできる技術力
・紛争やテロに巻き込まれず、安全で、治安も悪くないと言われる
・全体的に高い教育を受けた質の高い勤勉な労働力が存在する

といったところでしょうか。もちろん異論もあるでしょう。

より広い立場を取り入れた実現可能な政策を
資本主義経済ですので、基本的にどの党が政権をとっても
企業と生活者は自分のために粛々と経済活動をするだけです。
しかし政府の経済政策は、法規制や税制、財政支出、公的セクターの活動など
少なからず企業活動と経済全体に影響を及ぼし、
国民もまた政府の経済政策、景気対策にある程度期待しています。

これを、政策を行う側から見た場合
政府が経済に対して何でも思うようにできるわけではないので
政治的に「具体的にできること」を通して影響を与える、
その具体的なこととは何か? 
例えば法律とか制度とかの形に落としていかないと
提案なき現状批判になってしまうかもしれません。

しかし、抽象論ではなく具体的で生々しい経済政策の話になると
人々は「自分の立場」とその利益を強化する経済政策を基本的に支持します。
各政党の政策もそれぞれの「支持層の立場」に立って作っていると言えるでしょう。
「全ての人間はセルフィッシュである」それが政治の第一原則であると思います。

例えば、自民党が企業経営者側に有利になるように政策を作ったり
共産党は官業や中小企業の被雇用者を意識して政策提案することがあるでしょう。

逆に支持層の立場ではない人の利益について質問されると、
例えば、自民党議に格差解消の手段について尋ねたり
共産党議員に年功序列賃金制度の弊害について尋ねると
もしかしたら、もごもごと一般論しか言わないかもしれません

企業経営者からしたら、どの企業も自企業がもらえる補助金は「よい補助金」で
法人税負担や、やっかいな解雇規制などの「成長を妨げるもの」も少ない方がよく
自企業を守る規制は「必要な規制」で、そうでない規制は「撤廃すべき規制」で
それがその企業と日本経済を成長させる「正しい経済政策」になるかもしれません。
 
被雇用者、生活者からすると
低収入層にとっては、最低賃金はより高い方が正しく
消費税は減税して、代わりに法人税を上げて家計を温めたり
派遣法も改正し解雇規制も守って雇用を安定化させることが正しく
様々な理由で人々にお金を給付して内需を増やすことが
「正しい経済政策」になるかもしれません。

「労働者」とひとくちに言っても
原発労働者と再生エネルギー分野で働く人は別の利害を持つかもしれません。
保育業界で働く人も、公立保育園と民営保育園の従業員では別の利害を持ち
正規職員とパート職員では別の利害をもつかもしれません。

すると、相反する立場からの「正しい経済政策」だらけになってしまい
政党間の議論も、支持層との関係に目が向き、その文脈で他党の政策を批判する
それはそういうものなので仕方がないですが、それが行き過ぎると
互いに議論にならない個別の主張だけが複数存在しかみあわない
そんな印象をもっている方も少なくないのではないでしょうか?

私がよく感じることの一つは、その一つ一つの主張は全体の政策として
整合性がとれた現実的、具体的なものになっているのだろうかということです。

仮に、経営者側の利益を一番に考えている政策立案者が
「失業者の生活なんて経済成長に関係ないからどうでもいいよ」と考えていたり
生活困窮者などの弱者を助けることこそ政治の仕事であると考える政策立案者が
「企業の生産性だの輸出だのは財界の人間が勝手に考えればいいよ」と思っていると
全体の政策としては欠けてしまうかもしれません。

個人がそう思っているだけでなく
「弱者を守る」はずの政党は、企業の生産性向上のための政策なんて出してはいけないし
「小さな政府を訴える」政党が、政策実現のために増税案なんて出せないし、
「富裕層に支持されている」政党は、富裕層に対する課税強化なんてやっていいはずがない、
そんなことしたら「支持層の人たち」に怒られてしまう、という具合に決めてしまうと
整合性のとれた広く日本人全体のための政策が永久に作れないかもしれません。

いや、だから各政党が社会の各層を代弁し、
それを国会で議論することで合わせているんじゃない、と思うかもしれませんが
しかし国会で「議論」しているのでしょうか?

国会討論を見ることは少ないですが、
見ると、各人が自党(の支持層)からの主張をし
政府側がそれを適当にはぐらすという、
議論というより会話にもならない持ち回りの独り言大会のような
不思議な時間が、延々と続いているように思えることがあります。
(たまたま私が見た時だけでしょうか… 皆さんどう思いますか?)

よりよい改革のための議論がなり立たず、
新しい具体的制度設計の話に進まず
野党側からの問題の指摘による政府案の微修正くらいは行われても
根本的な課題の解決策が永遠に見えないように思える

そもそも社会合意を作り出し社会課題の解決を目指すより
自党/自分の支持を伸ばすことが主目的になっていないか。
その結果、官僚が粛々と彼らの限られた能力と利権構造の中で政策を進めるのみ
そんな状態が長い間続いてきたのではないかと危惧しています。
(ちなみに「時間」は最も貴重な資源の一つ、ということが記事の核の一つです)

さて、随分否定的な見方ばかり書いてしまいましたが
利害が様々に対立している一方で一つしか現実が選べないとき
政治という国民全体の利益向上のための妥協点を見つけだすプロセスにおいて
以降の記事では抽象的ですが
以下3点のバランスを経済政策の指針にしてみたいと思っています。
①ポテンシャルの最大化(経済成長)
②公正な経済(性差、経済格差などの様々な差と機会や結果の平等)
③外部不経済の最小化(環境問題、安全性など)

例えば、特定産業を守る規制によって一部の企業や業界を利するために
全国民に「大きな不利益」がある場合には、
①に反するでしょうから
わたしたちにとって正しい経済政策とは言えないかもしれません。
その問題点を明確化して
「その規制については」緩和する必要があるかもしれません。

しかし、仮にかなり国際的に優位性の低い産業(例えば農業)があり
それが社会において大きな価値があるので保護したいという場合
もし①を「大きく損なわない形で」②、③を達成できるなら
トータルで悪くない経済政策といえるかもしれません。

経済ですので、①が目立つのですが
貿易政策とか雇用制度とか全ての分野で
結局のところ①~③まで全てが私たちの生活にとって大切なはずです。

きっとそれらの多くは相反するものでなく、補完的な部分も大きく
(例えば②ジェンダーイクイティが高い方が、
①各人の能力が発揮され経済成長にもつながり
③男性も家事育児をすればより教育や環境保全に関心を持つ?)

従って「できるだけそれらを同時に達成する方向」へ妥協点を見出すことが、
より多くの人の利益を取り入れたベターな政策として
政治力学的にもマジョリティの同意を得られ実現可能性が高い
その形をできるだけ「明確化」していければ
「市民のための経済政策」になるのではないか、そのように考えています。

すると、その妥協点の達成には、
例えば一つの政策アイデアを極端に拡張して
ただ国民に金を給付し続ければ解決する、
ただ何でも全て規制緩和すれば経済成長してハッピーになる
などのように単純化はできないのでしょうね。
(それは支持層の立場に「のみ」に立った主張なのだと思います)

単純なやり方では複雑な社会に対して上手くいかないということ
またその極端な政策が結局マジョリティの賛同を得られず実現化できない
その両方の面で、難しいのではないかと思います。

ですから、新自由主義こそ正しいとか資本主義が間違っているとか、
あらかじめ「本質」を規定するのではなく
私たちの「現状」を受け入れてそこから出発し、
向かう「目的」を定め
その達成方法を具体的に考え、政治的に可能なシステムに落としていく
そのような実存主義的かつ社会工学的なアプローチの積み重ねが
今必要な経済政策になるのではないかと思うのです。

ではその向かう「目的」ですが、
この一連の記事では5のフェイズで考えてみたいと今のところ予定しています
①労働者数=供給力の最大化(雇用保障による完全雇用政策)
②労働生産性の最大化(教育とイノベーション)
③資源の投入先の最適化(規制緩和と産業構造転換)
④富の保全(自給と自律と分散型経済)
⑤外部不経済の最小化(環境保全と中立科学審査)

①~⑤を見ていく中で、
このような具体的な制度をつくったらどうかという提案も、
私は専門家ではないですが、幾つか提示してみるつもりです。
それに対し異論を感じる方もいると思いますが
それをきっかけに、もっとよい具体的制度を考えていただければと思います。
そのような具体的な方策を人々が協力して考えていくことが
今必要なのだと私は思います。

また、①の今回は、経済成長に重きを置いているように思えるかもしれませんが
①から⑤と議論の経過に従って、徐々にバランスのとれた
理にかなった全体の政策になれば、と今のところ考えています。

最終的には政党など各主体が「それぞれ」全体を見て、
バランスをとれた政策を考え、その方向性を明確化して、
国民の間で議論することが必要であると思います。

①労働者数の最大化(雇用保障による完全雇用政策)

いかにすべての働ける人に働いてもらうか

ある国の経済ポテンシャルを最大化するには
①その国の働く人の数を増やすこと
②1人1人の働く人の生み出す付加価値を高めること(生産性向上)
の2つが大まかには手段となるでしょう。 

付加価値を最大化し、稼ぎを増やし、消費によってそれを享受する、
それが一般的に「経済的に豊か」ということであり、
消費のみならず、納税を通じて社会保障制度の安定にも有益なはずです。

特に、少子高齢化で労働力不足の危機が迫っている日本では
少子化対策と共に、その人口構成の下で労働力を最大化していくことは重要でしょう。
つまり働ける全ての人に出来るだけ働いてもらうことが望ましいはずです。

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001ja05-att/2r9852000001ja67.pdf 
こちらは検索して出てきた少し古い2010年の
非正規雇用に関する資料(厚生労働省)です。
ざっとご覧いただくと、
①労働力人口が減っていくという人口動態の変化
②一方で、非正規雇用労働者が増えてきたという変化
その両方がお分かりになるでしょう。

この10年程度前のデータで、
2020年にはこのままだと就業者数が400万人減るとありますが、
実際は2021年の就業者数は、6659万人と「増えて」います。
それは高齢者や女性など様々な人が新規に働いているからでしょう。
人口自体は少しずつ着実に減り、1億2580万人になっています。

これもいわゆるアベノミクス経済の一側面なのだと思います。
他国に比べて成長率に乏しく平均賃金も低下してきた
というよく指摘される負の側面の一方
雇用数は拡大し、労働供給を確保してきた点は見る必要があるのだと思います

しかし、その雇用の拡大が非正規雇用の拡大による部分が大きく
その中には低賃金労働者が少なくないために経済格差は拡大したということが
現在問題として指摘されていると思います。

これは小泉構造改革辺り、あるいはその前から継続している
雇用の形の変化の傾向なのでしょう。

とすると、そのような大きな格差拡大を伴わない労働力増加を考える
ということになりますが、もう少しこの点について分析してみます。

非正規雇用とワーキングプア

非正規雇用にも契約社員、派遣社員、パートタイマー、委託など様々ありますが、
企業が人件費削減のためにいわゆる「正社員」の新規採用を抑制して
様々なタイプの「非正規社員」を活用していく中で
・その非正規社員の給与が相当に低い
・社会保険、厚生年金に加入できない
・会社の提供するジョブトレーニングがなくスキルを磨けない
・福利厚生がない、退職金がない、有給休暇が少ない
・不安定で失業しやすい、心身の健康に良くない生活をする、孤立化する
などの様々な問題が指摘されていると思います。

現在、非正規雇用率は全被雇用者のおよそ4割弱のようです。
ただし高齢者のパート再雇用、介護、保育など事情があってパート労働を選択する人
技術があって派遣労働で職場を移動する技術者など
非正規雇用=望まない非正規労働者ではありません。
望む形に合わせて多様な働き方があるのは悪いことではないですね。

正確な数字を持っていませんが、下の記事によると
https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20210402-00228843 
非正規雇用で正社員化を望むのは1割~2割のようです。
下の幻冬舎の記事では、統計をもとに約200万人としています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f13cd2778ecda6d005ea28529cc1acdb93cea0a1

残りの非正規社員が現在の待遇に満足している
ということでは必ずしもないでしょう。
ただし、非正規従業員の数の多さ「だけ」を問題視すると、
多様な働き方自体を否定することになりかねないとも思います。

非正規労働の拡大に伴う大きな問題として指摘されるのがワーキングプアです。
その用語の正確な定義はないですが、
年間を通じて、フルタイムに近い時間働いても
年収200万以下程度の勤め人を指すことが多いようです。
(仮に年200万=8時間労働×250日稼働、残業なしとすると時給1000円以下です。)

ちなみに単身世帯の生活保護費を、仮に4万円程度が家賃扶助(地域で違う)とすると
月約12万程度=年約144万程度となり
これが最低限の健康で文化的生活を維持する金額の目安となるでしょうか。

ワーキングプアとは、フルタイム近くの時間仕事してもそれと同程度から
+50万程度までしか稼げていない、ということになります。
扶養家族が何人かいれば、生活保護費の方が高くなるかもしれません。
生活費節約の仕方も色々あるでしょうが、
どうやってもあまり生活に余裕はありませんね。

世の中の仕事にも色々ありますが、
フルタイムで働いてその程度しか稼げないことを
日本の物価を考慮して、あなたは妥当、あるいは公正なあり方だと思いますか?

ワーキングプア層の人数はよくわかりませんが
最低賃金(地域で違う)に近い給与で
フルタイムかそれに近い時間働いている人の数ということになります。
時々道すがら飲食店やコンビニのバイト募集の張り紙を見る限りでは
飲食店とか、小売店とかのアルバイトでは少なくないでしょう。

問題の一つは、もし仕事が同じような内容であり、昇進もせず
社内外で研修などの機会もないと、スキルアップによる昇給もあまり見込めず
仕事外でスキルアップしたくても、貧乏暇なしでその時間と資金を用意できず
結局低賃金の仕事をし続け、
貯蓄がないため、失業して失業給付が不足したり、
それが切れれば、生活保護の世話にもなるかもしれない
そのような連鎖にはまってしまう可能性があるかもしれません。

つまり固定化してしまう、ということです。
時にはアルバイトで食いつなぐ時期があっても
いずれ頑張って正社員として就職すれば、
人生色々あるのでいいではないかといっても

社会全体で正規社員のポジションをある程度絞っている中
雇う側も、やはりそのポジションに合う経験を持った人を選びますので
特に低スキルのまま高齢化してしまうと、
どうしていいかわからなくなってしまうかもしれません。
ロスジェネ問題とか、幾つかの文脈で
そのようなことが指摘されることがあると思います。 

すると、それぞれの企業が人件費を削減して利益を確保する一方
「日本の社会全体」では、スキルが上がりにくく低賃金で
将来の年金も十分でない、そのような層が増えている可能性があります。
つまり、そのような人件費削減による企業の利益確保だけの戦略では
「社会全体の経済成長」はあまり見込めない、ということになるのではないでしょうか。

結局、企業の福利厚生を十分に受けられない層の拡大は
社会全体でカバーする必要があります。
社会保険・厚生年金(雇用者が保険料の半額負担する)の加入条件は
少しずつは適用範囲が広がる形で改善されており、
従業員500人以上の事業者(今年10月から100人以上)は
週20時間以上働いている場合、
それ以下の規模の事業者は正社員の所定労働時間の3/4以上働いている場合
加入できるようです。
https://workstyle.ricoh.co.jp/article/pension.html

しかし、それに当てはまらない場合、
国民健康保険、国民年金(本人全額負担)にのみ加入し、
厚生年金なしになるでしょう。

国民年金についてもCovid-19の影響もあり、納付者が減っているようです。
https://diamond.jp/articles/-/276272
この記事にあるように年金の納付者が減ってもその人の給付が減るだけなので
年金システム自体は安全かもしれませんけれど
その分、将来、財政における生活保護支給額が増えることになるでしょう。

移民で労働力不足を補う?

一方で、労働力人口の減少に伴う労働力を補う方法として、
外国人労働力を呼び入れることが財界、政府によって考えられています。
それは労働力を補う一般的な方法であると言えるかもしれません。

例えば、特定技能の外国人の滞在が5年から無期限になりました。
もしそれらの人が永住できるなら、さらに労働力を補う方法になるでしょう
移民については、メリットデメリット両面があると思いますが
受け入れ側の社会的合意と準備が必要でしょう。

しかし実際は、失業者も含めて「働ける日本人がまだ十分いる」のも確かです。
一方で、アルバイトの募集をしてもなかなか人が集まらないとよく言われます。
それは結局、日本人が納得する給与が支払われない、
あるいは、その他条件が合わないということが、
外国人労働力を頼る背景の一つとしてあると考えられます。
そのような環境の中で、例えば技能実習生の労働環境に関する問題もあるのでしょう。

つまり、お雇い外国人ではないですが、
優秀な外国人を雇用して産業を活性化させる、という考えとは違い、
「賃金を上げたくないから」「その賃金では成り立たないと思うから」
「その条件では日本人が仕事につきたくないから」
低賃金労働者を外国から呼ぶという側面があるでしょう

しかし、そのような動機での外国人労働力の拡大には、
・日本人が含めて、低賃金労働拡大へ導く可能性がある
・外国人労働者の定着に際して様々な社会的コストもかかる
ということも考えられ
それは、欧米などで移民反対派が主張する内容ではないかと思います

ですから、まだ国内の労働力を活用できないのか、という視点は
やはり大切であると思います。

そのことと先のワーキングプアという現実も合わせて考えた場合
・失業者、潜在的失業者(ハローワークで求職していないと失業者とカウントされない)
あるいは、高齢者、障害者も含めて
働けて働きたい日本人全員が働いて社会を回して
必要な労働力を提供すると同時に、
・公正といえる十分な給与を稼ぎ
・税金や社会保険料も納める
そのような「本当に支え合う社会」を築くことが
好ましい姿ではないかと思うのです。

ではそのためにはどうしたらよいでしょうか。

「雇用保証」と「再訓練」

これらを解決する一つのアイデアとして
以前に第3回で紹介した政府による「雇用保証」
あるいは「就業保証」というアイデアを発展させ
雇用保障と職業訓練を合わせた完全雇用システムについて
考えてみたいと思います。
(第3回 http://silverbulleta.blog.fc2.com/blog-entry-93.html )

政府による雇用の保証とは、端的に言えば職を望むすべての人に、
政府が雇用を最低賃金以上で提供する仕組みです。
例えば、日本の制度から出発して現実的に考えるならば
職を欲しい全ての人が、ハローワークに申し出ると
登録されている仕事(有償職業訓練も含む)に
最低賃金かそれ以上で就けるということです。
「原則拒まれることがなければ」保証と言えるでしょう。

そうすれば日本の労働供給を最大化できることになります。

ただし、まず初めに、ワーキングプアの問題を解決するためには
前提として、最低賃金を引上げる必要があります。
そうしないと官製ワーキングプアを大量に生み出すことになります。
最低賃金額に関する考え方は色々ありますので
仮に、最終的に最低賃金を1300円程度まで引き上げたと仮定しましょう。

一日8時間働いて、「残業なし」で年収が250万程度です。
豊かではないですが、貧困でもなく
貯金もしようと思えば多少はできるでしょう、
フルタイムで共働きすれば現在の平均世帯年収を超えます。

あくまでセーフティネットとしての最低賃金であり、
物価が上がれば、それに合わせてさらに上げます。

最低賃金を上げることの詳細はまた次の回で見る予定です。
詳細とは、最低賃金を上げる際の中小企業支援とか
最低賃金額の根拠とか、価格転嫁や生産性の向上などです

ここでは、仮に最低賃金をワーキングプアではないレベルに上げたと仮定し
もし、その人件費上昇によって廃業する企業が出ても
その失業者も含めて、雇用保証で全て吸収します。

さて、全ての望む人に最低賃金以上で政府が雇用を保障すると
理論上は、望まない失業者と潜在的失業者、
そしてワーキングプアが「日本からいなくなります」。
それは野党の多くが、優先的に目指したいところなのですよね?

選択的にさらによりよい職を求めて求職活動する人(それはある程度望んだ失業者)
失業保険給付や、貯金の取り崩しなどをしながら休む人、学ぶ人
引退した人などは、その人の選択ですので、それはよいです。
ですから、失業率ゼロにはなりません。
強制的に働かせることは誰にもできません。

社会保障制度を低コストで安定化させる方法

雇用保証は、社会保障制度の安定化に大きく寄与するでしょう。

まず、雇用保障と生活保護をリンクさせます。
つまり生活保護申請者に雇用保障労働を義務付けることで
高齢や病気、障害、育児、介護などの事情で働けない人以外で
生活保護を受給する人は原則いなくなるでしょう。

申請者側も、生活保護受給のために
資産制限やクレジットカードの制限を心配する必要はありません。
もらうのは労働の対価としての賃金です。

働ける人が皆働いて賃金を稼げば
国の生活保護支給費を大幅に削減できます。
長期失業者が貯金ゼロ近くになるまで、あるいは借金が膨らむまで手を打てない
ということもなくなり、少しずつでも資産形成できます。

さらに、働けない人、貯金のある人などが自発的に働かない場合を除けば
望む全ての人が切れ目なく働き続けることができるため
健康保険料と基礎年金と厚生年金を納め続けることになります。

するとそれら社会保障制度が将来にわたって安定化し
一般会計からの特別会計への繰り入れも減らせるのではないでしょうか。

下は厚生年金受給金額の目安です。
https://hoken-all.co.jp/hoken/nenkin-ikura/ 
仮に、この年収250万円程度の雇用保障最低賃金労働「だけ」を
「残業ゼロ」で40年続けたとしても
この表によると、厚生年金受給は5万円弱となるようですので
基礎年金と合わせると11~12万程度にはなるでしょう。

しかし、ほとんど大部分の人は、人生の中で昇給して
それ以上の賃金を得る機会があると思いますので
すると、大部分の人が生活保護費を上回る程度の年金は
将来受給できるはずですし、貯金もある程度できるでしょう。
財政的には「将来に渡って」生活保護費支給を大幅削減できます。

ちなみに先ほど幻冬舎の記事では、高齢者の平均的支出が月15万円程度とありました。
すると大部分の方は、基礎年金・厚生年金などで
生活費を何とかカバーできるでしょう。
たとえ特養に入っても一人現在15万円くらいで済むと思います
つまり、最低限、年金等による老後の安心がほぼ誰にでも得られます。

すると、医療扶助部分などはある程度残るとしても
基本的に生活保護制度は障害、病気、子育、介護など
様々な理由で働けない人だけの制度になるのでしょう。
そのようにして生活保護を受ける人自体を減らすことが
本来望ましい社会保障制度ではないかという気がします。

政府も社会保障給付が大きく財政圧迫する心配が減ります。
この方が時々話題になる、
財源や他の社会保障制度との関係が不明なベーシックインカムより
ずっと持続可能性が高いシステムではないでしょうか。

何より失業する心配がなくなりますので、社会的にストレスが大分削減されるでしょう。

生活保護について

話がずれますが、働けて働く必要のある人がほぼ全員職に就いている場合
働けない人の負担を、その人の家族に強いるのは
民法に何と書いてあっても、今の時代には合わないかもしれませんね。
良くも悪くも個人単位の時代になったと多くの人は感じているのではないでしょうか。

ですので、一方で病気などの理由で働けない人に関しては、
例えば生活保護申請時の扶養照会もなくしてしまい、
受給を「促進し」て、捕捉率100%に近づけるのが
貧困撲滅と人権の観点から望ましいのではないかと感じます。

そうすれば、経済的理由からのホームレス、ましてや餓死者などゼロになるはずです。
憲法に記された健康で文化的な生活を営む権利実施のため、何故そうしないのでしょうか。

生活保護制度自体をより効率的なシステムにする方法としては、
例えばですが、家賃に関しては金銭支給ではなく、
自治体が空き家、空き部屋を入札のような形で割り引いて借り上げ、
部屋を提供する方が安く済むかもしれませんし
食べ物も含めてより現物支給に変えて、経費削減できるかもしれません。

また後で述べますが、そのような支給・支援を通じて受給者情報を把握し、
その「完全には働けない人」の中からも「限定的に働ける人」を積極的に見つけ
在宅勤務、パート、障害内容にあった雇用などを積極的に提供して
非支援者と仕事をマッチングしていくことに行政の労力を注げれば
よりインクルーシブな社会になるのではないかと思います。

私たちにとって最も貴重な資源とは「時間」である

雇用保証の話に戻ると、通常の職業訓練や職業紹介など雇用促進手段と
雇用を保障するという考えの最も異なる点は「時間観」と「強制力」だと思います。
労働市場で現在様々な理由で不利な人が、求職活動を長い期間する
その時間自体が大きな損失ではないかと思うのです。
それ自体は、殆ど何も生み出していません。

需要と供給のギャップが大きい内は、何時までも仕事が見つからないかもしれません。
そして仕事が中々見つからないという経験や心配から、
心理的に就職を諦めたり
心を安定させ、スキルアップに投資できない人も少なくないでしょう。

この人々の膨大な時間の損失こそ社会の生産性向上のためになくすべきであり
例えば社会的引きこもりの人たちも含めて、現在どんな経歴とスキルの人も、
職を望み、本当に働く気のある人は、政府が拒まず先に雇ってしまい
そして賃金をもらう以上、現場でのOJTも含めて、最速で仕事を学んでもらう。
拒まれないで雇われるとわかっていれば、働きたい人はたくさんいるはずと思います。

必用なら政府が企業のOJTに加え、
様々な職業訓練、メンタルケア、生活相談などを提供します。
そのようにして「すべての国民を誰一人とり残すことなく人材として育てる」ことを
国策として決定して行うのはいかがでしょうか。

国民に勤労の義務を課したいなら、勤労の権利を保証してもいいでしょう。
完全雇用を目指す機関を作ることはILOの条約にも書いてあったと思います。
それはきっと、将来において十分ペイする人への投資となるでしょう。

その時問題となるのが
(1)そのような都合のよい労働供給が可能であるのか、
(2)どのように給与を賄うか
となりますので、それを考えてみましょう。

労働供給システムはハローワークと派遣会社の融合

現在の失業者が200万人くらいです。
仮に「見えない失業者」(=職が欲しいけど求職を諦めている人、
雇用環境の改善を待っている人、フルタイム希望のパートタイマーなど)が
フルタイム換算でさらに100万人程度いると仮定しましょう。

https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20210402-00228987
ちなみに、この統計では求職活動したいけれどしてない人が286万人とあり
その理由としては、100万人弱が「適当な仕事がない」
120万人程度が、「出産育児、介護、健康状態のため」
50万人程度が「理由不明」ですので
「すぐに働ける」見えない失業者をフルタイム換算で100万人と概算してみました。
(社会的引きこもりの人だけでも100万人程度いると言われていますが…)

それらの失業者はずっとそうではなく入れ替わるわけですが
現在比で、約300万人の追加労働力が見込めることになります。

実際は失業給付をもらったり、貯蓄を崩しながら
賃金のよりよい仕事を探したり、学んだり、休みたい人も相当数いるでしょう。
ハローワークにはあまりこないハイエンドの職を探す人も少なくないでしょうから
雇用保証労働の利用者を仮に最初は200万人と仮定してみましょう。

それは労働力不足解消のために大変良いことですね。
そうであれば、5年間で34万人という特定技能の外国人は
まだ招き入れる必要がないかもしれません。

例えば、外国人労働者に日本語をしっかり習得してもらうには
ゼロから始めれば1000時間程度はかかるでしょうか。
もし、しっかりしたプログラムがあれば、
仕事にもよりますが、その5分の1の時間(200時間)もあれば、
日本人の長期失業者でも、例えば介護労働とか、
他の様々な仕事の初歩を十分に身につけられるのではないかと思います。

しかしその全ての労働を公的セクターが提供するのは不可能でしょう。
(第3回で紹介したMMT派経済学者のケルトン氏の本にあった雇用保証は
公的セクターにおける地域の労働を想定しているのだと思います)

ですので、一つのアイデアですが、労働供給を
A:政府が雇用し民間等(企業、NPO、自治体etc等)へ派遣する
B:政府が作る公務(短期・長期)で働く
の2つの組み合わせで考えたらよいのではないでしょうか?

Aのイメージとしては、今ある様々な雇用関係の助成金の大幅拡充です。
雇用関係助成金とは若年者とか障害者とか様々なカテゴリーの人を
ハローワークを通じて雇用すると、助成金として何十万円出る
というような賃金助成の制度がいくつも存在します。
(さらにコロナ禍の今は、失業防止の助成金も昨年度は2兆円以上出しています)

基本的にはそれと似ていて、ただし年齢などで分けず、
例えば単純に、雇用保証の求職者を雇用した場合は、
最大6か月まで給与の半分(あるいは4割とか)を政府が援助します。

正確には、その派遣期間は「政府が雇用者(=公務員)」であり
社会保険料の雇用者負担分も政府が負担し
派遣先の企業が残り半分の賃金を政府に支払う形であれば
派遣先企業にとってはその労働者を受け入れやすいでしょう。
マッチングが上手くいかず、また別の派遣先を探す場合も
雇用が途切れることなく事務手続き的にも簡素であると思います。

ちなみに通常の派遣社員は、派遣先企業が払うお金の3割くらいを
派遣元会社が自社運営や社保負担目的でマージンとして取りますが
(つまり働く人のもらう金額より使用側が何割か多く払う必要がある)
この雇用保証派遣は、派遣元政府の方が給与をある程度を支援してくれる
派遣先企業にとってありがたい制度です。

ただし未熟練者、長期求職者、業界未経験者などもいることが想定され、
そのOJTでの訓練費用も助成金に基本的に含まれるという理屈です。

職業以前の基礎的なビジネスの訓練やメンタルヘルスケアなどが必要な場合
あるいはエンジニア養成など時間を要する訓練などについては
OJTが困難であれば、有償職業訓練として政府側がまた別に提供します。

財政負担を考えると、給与あるいは支援額に上限が必要なはずで
仮に、助成は時給換算で750円までとしてみましょうか。
つまり時給1300~1500円まで(年収換算約250~300万)の仕事は半額助成できます。
時給1500円だと最大6か月で
月給25万の半分の12万5千円×6か月=75万円+社保負担で
100万円程度がその人に対する政府の支出になります。
1300円だと6か月で80万円程度でしょうか。

それ以上の給与でも助成率が落ちるだけですので
例えば時給2000円(年収換算400万程度)なら、
その企業は助成を使って時給1250円社保負担なしで半年雇えれば、
試用しやすいでしょう。

もし合わなければ、派遣契約期間後に本雇用しない選択があるということは
採用(試用)が促進される理由の一つになるでしょう。
しかし、その場合企業側に正当な理由(能力不足など)が必要です。
悪質に雇用継続しない企業は利用できないルールが必要です。

基本的には、派遣後に正規雇用を目指すか
あるいはこの期間中にもっとよい条件の仕事が見つかれば
その仕事に移るための制度です。

この政府による民間等への派遣に加えて
政府は自治体と協力し、直ぐに就業可能な
十分な量の公務労働を提供する努力をします。
(こちらが、ケルトン氏の言う就業保証プログラムに近いはずです)

例えば、官庁や医療・教育・介護現場等での補助業務をしてもらうことで
しばしば指摘される公務員不足を補ってサービス改善できます。
あるいは環境整備とか、様々な現場での作業員として
地域を活性化したり、安全やクリーンやグリーンする仕事を
作ることもできるでしょう。
一次産業や再エネなど、国策的に強化したい分野に
多く仕事を作ることができるかもしれませんし

この公務は、原則最低賃金です。
そうでないと、逆に人を集めることで民業を圧迫してしまう可能性があります。
一方の企業等は、この公務労働よりよい給与等の条件を示すことで
この公務労働者の人材プールからも人を雇うことができます。
働く側からすれば、民間でより良い条件の仕事がみつかれば移るということです。
(最低賃金の設定が重要になるでしょう)
不景気時には、公務労働者が増え景気変動のダメージを吸収できるでしょう。

この公務は全額政府負担になりますが
仕事内容によっては自治体の間で負担の割合を調整できるかもしれません。
自治体職員がハローワークに出向して仕事を作るのがいいでしょうか。

求職者は登録された仕事から探すわけですが、利用者のパターンとしては
①自分が正社員になりたい企業で最大6か月間助成を受けつつ学びながら働く
 (事務・介護・建設、ITetc..)
②介護・保育、医療補助員、学校補助員、
保健所補助員とか、地域活性化スタッフとか、現場作業員とか
 短期、長期の公務につきながら求職活動を続ける
(あるいは、最低賃金の公務で満足して長期的にそこで働く)
③有償職業訓練(技術者、国策的人材養成など)

①は民間雇用促進であり
②は公務員不足を補い公共サービスを改善したり
政府や自治体が拡充したい部門の労働供給(一次産業、エネルギー転換需要)
③は技能習得がOJTでは困難な様々な時間をかけた教育機関による訓練
国策的産業構造転換(ICT、再エネ)のための職業訓練などです。

③の職業訓練は、現在公共職業訓練をハローワークに申し込むと
失業手当を受給しながら、あるいは失業手当がない場合
月10万円程度もらいながら様々な職業訓練を受けることができます。
それを拡充したイメージです。
例えば、訓練が一日6時間として最低賃金1300円をかけると月約15万程度で
単身の生活保護費を上回り、このくらいは受給できてもいいのではないでしょうか。

国策的人材養成とは、例えばデジタルトランスフォーメーションによって
事務職なども含めて相当の失業者が見込まれる一方
IT技術者の大量養成が必用だったり
カーボンニュートラル達成のため、再エネの拡大の各種工事や
住宅の省エネ化のための工事の技術者など
国策的にある種の技術者などをたくさん養成する必要があるならば
その職業訓練を受けている間、生活費を出すという意味です。

その場合は、産業界とよく相談してその訓練すべき人数を推定し
例えば訓練の後期にはインターンシップを必ず行って、
原則、訓練の終了=就職という形にするなど
産業界の方で責任をもって雇わなければ投資した時間と金が勿体ないでしょう。
職業訓練を、産官学の協力でより計画的効率的に運営することが
今後大切になるのではないかと思います。

そのような再訓練制度は、
産業構造転換の際のセーフティネットとして機能し
社会全体の生産性を高めることに寄与するでしょう。

当初雇用保証の利用者200万人と仮定しましたが、
他の変数を考えなければ、理屈では
・雇用増による内需拡大(賃金そのものに金を出すので消費拡大効果は高い)
・産業構造転換促進による新規需要創出
・人口動態の変化からの労働力減少
つまり需要増と人口減から、民間の雇用でどんどん吸収でき
制度利用者自体が徐々に減っていくはずです。
もともと長期的には労働力不足なわけですからね。

余剰労働力を全て吸い上げれば
後は景気変動及び産業構造転換によるダメージを吸収し
労働力の移動を補助、促進するシステムとなる理屈です。

仮に①の半額助成による民間派遣を制度開始、「常時」平均150万人として
計算しやすいように全て最大額の時給750円助成として計算し
全額支出する②、③の公務も同様に常時40万、
④職業訓練は合計10万人(平均訓練期間3か月なら述べ40万人)と仮定すると、
年間財政負担は100万円(6月)×2×150万人+300万×40万+180万×10万人
=約4兆2千億円が運、営費などは除いた給与と社会保険料支払いになります。

しかし一方で、生活保護費支給の減少、
失業手当の減少や、手当とのダブり
既にある雇用関係助成金や雇用調整助成金
就業支援金(有償職業訓練)給付とのダブりが相当あります。

また、支給が増える分の行先も、ほぼ全額給与か社会保険料ですので
それによって所得税や社会保険収入が拡大し
(手取り以外の大部分がほぼ何かの費目で公に戻ってくる)
消費税収入も拡大することによって
支出増の何割かも相殺されるでしょう。

経済学者でないので計算できませんが
現在比での支出増を、始めは半分の2兆円程度としましょうか。
実際は経済成長もあり、むしろ収入増になるかもしれません。
というより人材「投資」なので、リターンの方を大きくしようとしているわけです。

加えて、先ほど述べたように労働人口減少により利用者自体は理論上減り続けていき
経済成長にも寄与していくと考えると(賃金を通じて内需が増えていく)
例えば当初数兆円の支出増分の財源を、
大企業や富裕層への増税で賄っても、一部国債で賄う方法もあると思いますが
十分にペイするシステムではないでしょうか

最終的には、景気変動と産業構造変換の労働移動に伴うダメージを
主にカバーするセーフティネットとして機能し、
景気がよく民間の雇用が安定している場合は利用者が減り
景気が悪くなれば利用者が増え
景気変動の国民経済への影響をほぼ吸収しつつ、供給力を最大化する
徹底したケインズ政策です。

国民は収入が保障されるだけでなく、働きながらスキルを磨きつづけ
職業を通じて社会性を広げ、絶対飢えず失業しない安心感が得られます。

テクノロジーに支えられたケインズ政策

ハローワークですから、恐らく厚生労働省を中心に運営します。
求職者は、登録されている膨大な仕事の中から選び、応募します。

その作業の支援を、ハローワークの職員とAIと
協力機関で行うというイメージです。
予算確保よりこういった具体的な人、情報、技術のシステム構築が
最も難しいはずですから、縦割り行政を排除して
目的のために徹底して、省庁、自治体、民間が協力することが必用です。

登録者も自分で検索して仕事を探しますが
まず自分の情報と希望条件を相当細かく入力すると、
その条件に合う仕事を紹介され
それがよければさっそく応募して、面接等をアレンジしてもらいます。

細かく入力というのは、働ける時間、就業場所とか、持っているスキル
身に着けたいスキル、あらゆる情報をカテゴリーを細かくして
選択式と一部記述式で入力する感じです。

履歴書の書き方などをハローワークで講習していますが、もう辞めて
基本的には、全て入力をした情報をそのままプリントアウトするか
紙ベースもやめて、電子データとして送信することで
履歴職歴書として機能するように
既定のフォーマットを作成して、各企業に利用を奨励できないでしょうか。

データ量が多くても、採用側の方で欲しいカテゴリーの情報を検索すると
直ぐ出てくるようにすれば、恐らく見にくいことはない気がします。

政府も確かジョブカードなど作ったり
キャリアのポートフォリオ的なものを作成しようとしていた記憶がありますので
全ての職歴やスキル情報などを入力していくとよいのではないかと思います。
履歴職歴その他の求職者の情報が多いほど、
面接前に適性を判断しやすく、お互いに時間が節約できるのではないかと思います。

企業側も同様に企業等がハローワークに求人登録する際に
雇用保証派遣を受けいれたい場合は、
出来るだけ仕事内容や、求める人材の条件を
細かく条件を入力するようにします。

必要な経験、昇給や将来のキャリア形成、求める人材のタイプ
その他、マッチングに役立つ情報を分析して入力項目にします。
そして、求職者も可能な限り全ての情報を入力します。

そのような求人側のデータと求職者側の求めるデータをもとに
AIも使用してマッチングして
プロフェッショナルなジョブアドバイザーが
面談や、メール、チャットを通じてアドバイスします。
求職者に最適な仕事をどんどん紹介、推薦していくような
システムのイメージです。
(例えば希望の仕事と労働条件のマッチング率90%とか、
高い順に際限なくどんどん紹介してくれる、みたいな感じですね)

地域にある企業や自治体の仕事だけでなく
全国のデータを統合して、東京のこの人のプロフィールなら、
宮崎県のこの野菜農園の仕事が適して案外マッチングするのではないかとか
AIが出した情報を見て、ハローワークスタッフと相談する
それでも中々応募しない人は、スタッフの方からどんどん紹介するという感じです。
 
キャリアアドバイスは、今のハローワークの職員だけでは
スキルが足りないかもしれない一方で、
このようなシステムが存在すると、恐らくその賃金帯の雇用に関しては
民間の派遣会社の仕事が成り立たちにくくなるような気がしますので
キャリアアドバイスのノウハウのある派遣会社から職員を受け入れたり
運営の一部業務委託するのもいいかもしれません。

現在でもハローワークが民間の人材会社を紹介することもあると思いますが
民間の一部の求人データベースは一体化させてしまえばいいかもしれません。

人材派遣、紹介会社は、専門職の派遣や(そもそもそれが派遣制度本来の主旨のはず)
もっとハイエンドの有料職業紹介に集中し、同時にハローワークを手伝えば、
それほどダメージはないのではないでしょうか。

求人側企業等にしても、求人広告に何度もお金を払って募集をするより
システムと支援制度を利用して雇ってみて、適性を見るのは損ではないと思います。
例えば、登録者が同意する場合には、企業側から情報を検索閲覧でき
(AIの推奨をもとに)オファーをできるようにするなど、
システムの利便性を高める工夫がいろいろあると思います。

企業だけでなく、NPOとか協働組合とか様々な主体が利用できるでしょう。

基本的には仕事を探す人は、働きながら仕事を探すといいでしょう。
つまり本当は別の仕事をしたいのに、直ぐその仕事が見つからない場合は
先に、何らかの地域の公務(あるいは政府派遣)労働を見つけて
「仕事をしながら」賃金を得て、非勤務時間に仕事を探すということです。

求職活動も自宅でインターネットを通じて、
あるいは夕方など非勤務時間にハローワーク等で探します。
支援のためにハローワークは夕方や土日も運営することになるのでしょう。

そのようにして、出来るだけ切れ目なく給与を得つづけ、
スキルも磨き続けながら、次の仕事に移るのが望ましいです。

もちろん労働の強制はできませんので仕事を休みたければ、
賃金はもらえないだけで休めばいいです。
失業給付がある間は、それを使えばいいでしょう。有給休暇ももちろん使えます。

もし働く側がその仕事が合わないと諦めるなら
(ジョブアドバイザーは続けるように助言するかもしれませんが)
その人は引き続き政府の被雇用者として、別の仕事を探して就きます。

社会をよくする仕事を供給し、需要も作る

ではどのような分野で雇用促進が進むでしょうか。
主に、人不足と言われている分野だと思います。
https://www.murc.jp/report/rc/column/search_now/sn210609/ 
例えばここにある14分野で最低でも34万人は雇えるはずです。
労働力減少が進めば、先々ではもっと必要になります。

現在労働力不足への対策が求められている業界
まずは、介護、その他のエッセンシャルワーク関連
IT、建設など、あらゆる業界での雇用が促進されるでしょう。

ちなみに、今日から抜本的少子化対策をとって、
皆ががんばって、仮に来年から出生率が上がり始めても
その赤ん坊が労働し始めるのに20年程度必要です。
20年後に500万人は労働人口が減る推定ですから
200~300万人の追加労働力は理論的には10年後「何もしなくても」
全て吸収しているはずです。
その後は足りなくなってしまうでしょう。 
ただしDX等による合理化が進めば
それによる相当の一次的な失業者は出る可能性があるかもしれません)
https://www.konicaminolta.jp/business/solution/ejikan/column/workforce/declining-workforce/index.html 

公的セクターも、官庁や、様々なエッセンシャルワーク関連など様々な現場で
たびたび指摘されている公務員不足を補うことができるはずです。

例えば教員や看護師の数自体を増やすことも必要でしょうけれど
資格を取るのに数年かかってしまいますので
(現在の公共職業訓練でも看護師も含めて2年のプログラムはあるようですが)
補助業務を行う人を増やすことで、
それらのエッセンシャル・ワーカーの業務負担を軽減できるでしょう。

その他、地域環境をよくする様々な仕事を創造的に作り出すこともできます。
ソーラーパネルを設置するとか、そういうこともできるでしょう。

また、現在の居住自治体で仕事を探す必要はなく 
引っ越して農業等の一次産業分野で就労するなど
様々な選択肢もあり、それはマッチング次第です。
ちゃんとした仕事があるなら地方への移住をしたい、
と言う人は結構いるでしょうし
一方で、後継者の足りない一次産業を活性化させることにつながり
食料自給率の向上にも役立つかもしれません。

人不足の分野に労働力を投じることに加えて
もし余剰労働力がある場合、未来への投資をする仕事
老朽インフラの交換、ITインフラ投資、再エネなど作業が遅れている分野を進めるための
例えば必要な公共事業を前倒しして進めればよいと思います。
そのような社会をよくするための事業は、しっかり財政を投じるべきです。

実際に、たとえ政府が賃金を一定期間一部助成すると言っても
世の中の仕事(需要)自体が増えなければ、
固定費である人件費を増やして新しく人を雇う企業は限られるかもしれません。
賃金支払いを通じて内需が拡大する部分も大いにあると思いますが
財政を使って直接需要を生み出すことも有効です。
それは、政府=人々が行うべきと考える事業に社会の力を注げるからです。

例えばグリーンニューディールというのはそのような考え方の一つですね。
再エネ普及のため、風力発電の風車やソーラーパネルその送電網を整備したり
また全国的に住宅の断熱化省エネ化を行うことは
いずれカーボンニュートラルを達成する予定なのですから
国策として前倒しで実行しても損はないはずです。

それらの公共事業費や補助金などは別の予算措置になります。
しかしそれらは、「いずれやらなければならない」ことであり
もし現在労働力が余っているなら、「その間に」やれることをやった方がいいのです。
人口減少が進むと、回せる労働力がどんどん減ってくるかもしれません。

供給力の最大化を政策目的とする理由の一つは、
時間軸を組み入れて考えて効率的にすることが大切だからであり
そうしないから、万事が遅れているということになるのではないかと感じます。
それはカーボンニュートラルのための投資に限られませんが、
これにしても政府自身が立てた2030、2050年の目標に間に合うのでしょうか。

時間制限の中で、加速させるためのシステム設計する時
政府の単年度の財政状況の制約を重視するより
供給力の余剰に目を向けて、それを動かすことを考えた方がよいのではないでしょうか。
金は世の中を回す手段であり、社会的に必要な費用を政府が賄うためには
負担をすべき対象、負担が可能な層に対して、徴税すればよいのです。
投資的経費はある程度建設国債と同じように国債で賄うことができるでしょう

逆に、超金融緩和をして市場原理に任せておいても
カーボンニュートラルなんて絶対達成できないでしょう。
そういう個人を超えた社会的負担には投資しない程度に
私たちは十分セルフィッシュなのですから

社会の資源を有効に使うために民間による投資を優先する考えはわかります。
だからこそ、例えば雇用保証でも民間を優先にする仕組みを考えてみましたが
しかし、どのようなことは市場原理では達成できないか、ということも
既に私たちは経験から理解しているものと思います。

カーボンニュートラル達成のための諸事業だけでも、
毎年8~10兆円の投資が必用、という推計を見たことがありますが
(もっと必要かもしれない)
その何割かは、結局人件費なのですから
その費用捻出が、雇用対策になるのなら効率がいいです。
それを労働力の余剰がある時にやらないのはもったいない気がします。

ですので、失業防止のために働かないことに金を出すのも
一時的な処置として理解できますが
休業や失業者、その他の余剰労働力がある時にこそ 
必要な事業に国内の稼働可能な労働力と税金をどんどん投入して、
本来やるべきことを加速してやった方が
その結果雇用も経済も社会も環境もよくならないでしょうか?

再エネや省エネ普及も官民の双方の負担があるものは
一方的に政府の都合では進められないでしょうが
例えば、今、住宅の断熱等省エネ化工事するのに
3分の1まで補助金を出しているとして
余剰労働力があって投入できる場合、
その補助率を期間限定で大きく引き上げれば
その間、工事が増え、すると雇用も増えるでしょう。

あるいは、政府が再エネのための送電網を公共事業として整備するとか
そのように政府の公共事業として行うことのできるものもあるでしょう。

そのように公的な事業を拡大させる時、
もし、既存の労働者が長時間働くことで新規雇用促進効果が限定される場合
法的に可能な枠組みはわかりませんが
例えば特定の公共事業の受注する際に、
現場作業員の何割かを雇用保証労働者を新規に受け入れる条件とするなど
雇用促進に直結させる仕組みができないだろうか、と思います。
雇う側も、助成が受けられるならメリットはあるはずです。

ということで、200~300万人の追加労働力で
・まず待機児童をゼロに
・待機高齢者、待機病人がいるならそれもゼロにし
 医療、介護・教育・保健衛生をゆとりのあるものにし
・老朽インフラを片端から交換し、電柱も地中化し
地方の通信インフラも整え
・食料自給率とエネルギー自給率を本当に上げたいのなら、上げ、
・DXを促進し
・再生可能エネルギー普及を促進し
 住宅の断熱化などの省エネを促進し
・さらに、ワークシェアリングを普及させ(後で方法を議論します)
日本人の長時間労働を解消し
・それでも万が一、労働力が余ってしまったら
 地域交流の促進とか文化活動の充実とか
あるいはその仕事内容を考える仕事からしてもらえばよいですが
まず、余らないのではないかと思います。
カーボンニュートラルへ向けた諸事業を前倒しして全国的に実施すれば
もう人が足りない、ということになるのではないかと思います。

とにかく、人が多くて困るということは基本的にありません。
逆に景気がよければ、例えば支援額を5割から3割に下げるなど
完全雇用を維持できる範囲で支出削減もできるでしょう

重要なことは、人々が納得できる条件の仕事
そして社会をよくするための仕事を
それを生み出すことに資源を集中する事だと思います。

逆に仕事自体がないと、様々な就業支援政策に予算をつけても
求職者と仕事は永遠にマッチングしないでしょう。

「テクノロジーに支えられた徹底したケインズ主義的政策」で
国家の労働供給を最大化しつつ、内需を拡大し、
社会保障制度を安定化させ、社会によい形の経済成長を促す
それを社会主義的、計画経済的にではなく
可能な限り市場を通じて行う、これが基本的コンセプトです。

公共職業訓練と「全ての人を誰一人残すことなく育てる」

雇用保証は不安定雇用を多く作りだすことが目的ではないため
政府派遣の対象の雇用は、原則、正社員=期限の定めのない雇用の方が望ましいのでしょう。
雇用制度自体、特に解雇規制緩については、次の回で考えてみるつもりです。

政府による派遣を期限まで続けたら、通常は直接雇用するとみなされます。
本雇用しない場合、その根拠を企業側が示す義務があります。
例えば、働く側が辞めたいと考えている、スキル不足
その他の合理的理由で雇えない根拠があれば可能ですが
ただ政府の助成を目当てに雇用を継続しない企業は
悪質な業者とみなしてその企業から求人を受けないなどの措置が必用でしょう。

本来の主旨と違った不正な制度利用を避けるために
同企業が同時に利用できる人数を限ることもできるでしょう。

また、サービス残業を課すなど、労働法を守らない企業も排除します。
派遣される人は政府によって雇用が「保障」されているので
安心してジョブアドバイザーや労働局に通報できるでしょう。

これらは、労働者側を守るための様々な方策ですが
労働条件、そして収入を向上させるためには、
職業訓練を受けて、スキルを向上させられることも大切です。

雇用保証はOJTを含むという形で制度を想定してみましたが
ある人が失業して他の職種に移る場合に、
外部機関が提供する職業訓練を通じて
技術を身に着ける場合も少なくないでしょう。

下は現在ハローワークを通じて申し込む公共職業訓練を説明したページです
https://job-medley.com/tips/detail/1199/ 
こちらは厚生労働省の求職者職業訓練のページです。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/kyushokusha_shien/index.html

訓練内容としては、手に職をつけるための様々な分野の職業訓練があり
数か月~半年のものが多く、自治体の職業訓練校や民間企業が担います。

訓練中の給付制度に関して、まず訓練自体はどちらも基本的に無料で
失業手当を受けながら訓練を受ける場合と、
失業手当の対象外の場合には、資産要件、収入要件などを満たせば、
月10万円程度の給付を受けることができるようです。
足りない場合には、生活資金融資を受けることができます。

しかし、訓練後の就職率が7割とか8割など掲載されていますが
おそらくこれは、訓練とは全く違う分野への就職も含めて(コンビニのアルバイトとか)
雇用保険の適用を受ける全ての職業に就職した比率ではないかと思いますので
必ずしも、その訓練に投資される時間と資金が
十分に生かされているとは言えないかもしれません。

受講したくても人気のある訓練は倍率が非常に高くなり受けにくいので
希望とは別の訓練を受講したり
失業手当を受けるためにとりあえず訓練を受けるという動機の人も
結構いるのではないかという気がします。

ですから、産官(+学)の協力により
訓練と就職のマッチング精度を上げるということを
もっと行うことが必要なのではないかと思います。

訓練内容や人数にしても、地域の企業や産業界とよく協議して設定したり
例えば、ハローワークで先に就業先を見つけた後で
OJTでカバーしにくい部分を、訓練してもらうとか、
訓練の途中からは訓練に加えてインターンシップを企業で行い
その会社に雇ってもらうとか色々な方法があるのかもしれません。
オンラインの研修なども使用して
時間や資金コストを削減できる部分もあるのでしょう。

雇用保証制度の一つのオプションとして職業訓練に賃金を出すことを想定すると
失業手当の額が十分ならば、それを受ければいいのでしょうが
失業手当が切れたり、失業手当対象外の人(元フリーランス、自営業者など)は
一日の訓練時間が一日5~6時間と考えると
仮にそれに最低賃金1300円をかけると、月約16万円くらいになるでしょうから、
生活保護水準は上回ります。その位は支給してよいのではないでしょうか。
足りない人は、アルバイトしたり、融資も受けることができるでしょう。

一方で、様々な境遇の人たちが求職をする中では
長期失業者、様々な心のトラブルを抱える人のなどもいるかもしれませんし
中にはメンタルヘルスケアや、社会人訓練などが必要な人いるかもしれません。

雇用「保証」ですから、
例えば、15歳の時から引きこもって30年経つ45歳の人でも
失業してから10年ホームレスをしていた50歳の人でも
登録しに来て、面談をして、しっかり働きたいと本人が言うなら
原則、政府が雇います。

そして必要な訓練やケアも就業プログラムに乗っているなら
「賃金をもらいながら」受けます。
賃金をもらっているので、直ぐに希望の職とマッチングできなくても
可能な単純労働とか事務作業補助などをしてもらい
徐々に介護とかIT技術者とか特定の職業への道を考えてもらいます。

根気強くケアと訓練を政府が提供し続けても、
どうしても何らかの理由で働くことができない場合
病名がついてもつかなくても、つまりその人は「働けない人」ですので
資産要件などを満たせば、生活保護対象になるでしょう。

つまりこれは社会福祉政策でもあり、
であれば、そのカテゴリーの予算も使いながら
医療機関、福祉機関、関連するNPOとか民成員とか様々な機関と連携しながら
国民を誰一人残さず人材として育てる、そのようなシステムを作るということです。

インクルーシブにさらに雇う

「働けて働きたい人」を全て雇用するだけでなく
「働きにくい人」の仕事を探すことも
全国的なネットワークで進めていけるのではないかと考えます。

高齢や病気、障害のある方、介護や看護で家にいる必要がある方なども
自分の状況と希望を詳細に入力してデータ化し
企業らも、困難のある方でもできる仕事について
その必要な能力などを詳細に入力し
(例えば片手でできるとか、在宅勤務かつ特定の時間できるとか)
やはり、AIとアドバイザーが支援してマッチングするという形です。

例えば、企業でも公的機関でも、
障害者雇用率が望まれる基準を下回っている事業所はあると思います。
応募を待っているだけでは、雇用できないかもしれません。

しかし、働ける障害者を探すのに、時間がかかってしまうかもしれません。
もし能力的な情報、希望の条件を選択肢と記述式で細かく入力してもらい
(例えば右手でどれだけ動かせるので、このような作業ができるとか)
企業側も、お願いしたい仕事、そのために必要な能力、
時間、場所などの条件を、詳細に記入し、
例えば、合致率の高いものを、ハローワークシステムと諸機関と連絡して
どんどん紹介してくれるようなシステムなどを作っていけば
そのような形の雇用も進むかもしれないと思います。

障害者雇用やシルバー層の雇用を紹介、提供している企業、
協働組合、NPOなど様々な支援団体と取り組みがあると思います。

障害者など限定的に可能な形で働きながら最低賃金を受け取ったり
あるいは、障害の度合と仕事の内容に応じては
最低賃金を下回る金額を、別の名目で受け取る形もあると理解しています。
 
そのような取り組みをサポートするシステムとしても
全国的な雇用保証システムが使用できるのではないか、と思います。

大事なことは、社会と労働者の両方に有用な形で雇用自体を生み出し、
その雇用で、働き手と社会の両方の状況をよくすることだと思います。
望む人たち出来るだけ全てに、働ける場所を用意して社会で活躍してもらうことは、
本人にとっても社会の側にもメリットが大きいでしょう。

納得できる真に支え会う社会とは

働ける人がほぼ全て働いて金を稼ぎ、
納税し社会保険料を納める制度ですから、
もし、そのような制度においてすら財政が健全に運営できないならば、
原理的にどうやっても健全な財政運営はできないと思います。

お金は逃げていきませんので、どこかにはありますから
必要であれば、担税力のある層に無理なく課税すればよいです。
そうすれば財政破綻はあり得ないのではないかと思います。

無駄な橋を作ったり、システムの運用が利権化したり
というような運用面で堕落しないことが大切であり
国民経済を最大化するための投資ですので
それがペイしないということはないと思います。

雇用の最大限の創出を民間部門を優先して行うならば
・人不足の企業経営者
・税と社会保険料を回収する政府、自治体
・職を探している失業者や不安労働者
・人不足の負担を軽減したい官民、経営者から正規、非正規の労働者まで
広く国民全体ある程度ウィンウィン関係であり
納得できるフェアな妥協点としての政策にならないでしょうか。

ただ、これは「楽ではない」です。
例えば、ただ金を給付してもらえるとか
ただ法人税を下げて株主配当が増やしてもらえるとか
そういうただお金が入ってくる政策ではないですので
「みんなが」結構頑張らないといけません。

・働いてなかった人が働き始めたり
・今までとは違う業界での仕事を覚えて働いたり
・役所も管轄の壁を乗り越えて効率的なシステムづくりをしたり
・経営者は賃金が上がる中生産性を上げる経営努力をしたり
・政治家や官僚は、真に優先的に価値がある社会投資を議論し制度設計するなど
みな頑張らないといけないので大変なのですが
それはみんなが負担を分担して利益をシェアするので
その頑張りはそれほど悪いものではないと思います。

財政出動して完全雇用を目指す際の懸念の一つがインフレですが
しかし働ける人が全て働いて、貧困にならない程度の給料をもらい
働けない人も全て生活保護等でカバーされている状態でインフレが起きた時
その消費者物価上昇率にリンクして生活保護支給や年金支給、最低賃金など
社会で厳しい層の受給する生活費が上がるよう制度設定すれば
そのインフレはつまりただの経済成長と言えるでしょう。

一番頑張らないといけないのは
人件費カットとは別の経営努力を求められる経営者かもしれません。
市場に余剰労働力がある買い手市場なら、
人件費カットして、利益を上げたいのですが
それでは一番初めに見た今までの「現実」の形にもどってしまうでしょう。
その点は次の「生産性の最大化」の回でも一緒に考えてみたいと思います。

短期的なスキルの伸びない非正規雇用拡大による
スキル=生産性の低下、社会保障の制度の悪化
社会不安、社会分断、格差と少子化、といった
様々な外部不経済を最小化するメリットも考慮すれば
十分投資する価値がある妥協点ではないでしょうか。

まとめますと、この雇用保障と職業訓練プログラムのメリットは
供給力の最大化ですが
・すべての働ける人に働いてもらい支え合う社会を作る
・すべての労働者を取り残すことなく人材として育てる
・すべての労働者に社保完備することで年金、医療システムを安定的に持続させる
それらは、いわゆる稼ぎという経済的豊かさだけでなく、
安心感、労働を通じた自尊心、貧困根絶による国民の幸福に繋がる、
そのように考えます。

長く書いてきましたが、これは一つのアイデアです。
そんな机上の考え通りに物事が行かないこともわかりますが
しかし、ここまで徹底できなくても、概ねそのような方向性で、
人を出来るだけ多く訓練して雇用する制度を作るべきではないかと思います。

国民を誰一人残さず投資して育て続けるとともに
支援される側も可能な限り働いて社会貢献し
お互いに支え合う社会
そのような社会を断固として実現する覚悟を政府として示し
ただの願望ではなく具体的制度として示すことが
今政治に求められていることではないでしょうか。

移民

最後に、もし日本人による余剰労働力を最大限活用しても
なお労働力が足りなくなってきたら
外国人労働力(短期、長期、移民)を頼りにするか
あるいは生活レベルを落とすしかないでしょう。
もちろん、海外に業務委託するとか
ある程度は、色々な手法で対応できる部分もあるでしょう。

もし、外国人労働力や移民を必要性の面から考えるならば、
長期的には、少子化を克服できるかという事でもあり
少子化の社会的原因に以下のようなことが今あげられていると思います
・教育コストが高い
・雇用不安定(お金がないと結婚できない)
・保育サービスが足りない
・長時間労働

次の回で、教育の公費助成や長時間労働についても扱えたらと思いますが
今回の雇用保証制度によるセーフティネットを含めて
そういった少子化を対策にもなる政策を色々とった場合
「もし」少子化の主要因が、上記のようなことであるならば
それが解消されれば出生率が上昇する、という理屈になると思います。

実際はどうなのかは推測の域を出ないのですが
結果論として、そのような少子化対策も間に合わず
外国人労働力にさらに大きく頼る必要性がある場合
これはもう価値観の問題だと思いますけど
きれいごとに聞こえるかもしれませんが、
外国人労働者も日本人が働かない低賃金で働いてもらうためではなく
日本人と同等の労働条件で働いてもらうのが人道にかなった形ではないかと思います。

社会全般の労働環境一般を悪化させないために
その方がいいのではないでしょうか。

中東とか外国人労働者を多く受け入れている国でも
劣悪な労働環境の問題が指摘されることがあります。
中には現代の奴隷、のような形で、売り買いされる
労働者が表現されることすらあります。
それは、私たちの多くが望む形ではないと思います。

最低賃金とか、そういった基本的な労働条件を
日本人と、外国人労働者で二重にするというのは
その方が問題が多く生じるのではないかという気がします。

さて、永住する、つまり移民という考えに対しては
日本は、抵抗のある方も多いのかもしれないと思います。
既に相当の外国人労働者が日本にいるわけですが
定住するということを考えた場合
文化が違うとか、色々な懸念を覚える方はいるでしょう。

逆にそういったことをそれほど気にしなかったり
たとえ、受け入れに関わる社会コストが色々あっても
それは必要なコストなので一つ一つ解決していけばいいと考えられるなら
移民というのは、基本的には、日本に人がやってきて
その人たちが日本人になってくれるということですので
悪いことではないと私は思います。

移民とは別の話ですが、先進国の責任として難民をもっと受け入れるべき
というよく指摘されることも、もっともな話だと思います。

さらに積極的にとらえるなら、その多様性は社会の力になります。
私はそう感じますが、色々な考え方、感じ方がありますので
それは政治的にそのような決定をする時には
しっかり国民に説明し、社会合意の下に準備して受け入れることが望ましいでしょう。
それでも反対する人はいるでしょうが、それはどんな政策でも同じです。

もし外国人労働者を社会の力とらえられるならば
人不足が悪化する前に積極的に受けいれても構わない理屈になりますが
しかし、その時に、初めに論じたように
まず、日本人の潜在的労働力を最大限活用する、それを妨げないようにする
そのことが大切だと思います。

それは単に労働力の供給という面だけでなく
社会保障から政治的、文化的な面も含めて、
社会の安定性と幸福のために、取り組むべきことだからです。

働きた人が働ける、誰も取り残さないという意思を、制度の形で示すことは
社会の分断を防ぐことにつながるでしょうから
政治はそれを優先すべきではないかと私は思います。

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①4月2日(土)勉強会  ②ICATORの国際集団訴訟 ③LAタイムの記事  ④『マトリックス解読』

①4月2日(土)20:00~
STOPエレクトロニック・ハラスメントオンライン勉強会

こんにちは。
もう3月になりましたが、今年初めての記事です。
忙しくしていて中々書くことができず、すみません。

表題の通り、今年一回目の勉強会を4月の初めの土曜日に行いますので
是非、エネルギー兵器問題の解決について関心のある方はご参加ください。

詳細はSTOPエレクトロニック・ハラスメントのサイトの
こちらの記事をご覧ください。
http://stopeh.org/wordpress/?p=1651

今年は、時間が許せば、勉強会を頻度を上げて開催し
様々な場所で活動する方々をサポートし
同時に、この問題について関心を持たれている方に
気軽に情報をシェアできる機会にできたらと思っています。


②ICATORの国際集団訴訟

以前にも紹介しましたが
ベルギーに拠点を置く、エネルギー兵器の被害者組織が
加害者に対する刑事集団訴訟を行うための手続きを進めています。
そして、必要な弁護士費用を募集しています。

こちらのTI Day Japanさんの記事に詳細がありますので
ご支援よろしくお願いします。
https://ameblo.jp/raquell2012/entry-12726524136.html


③LAタイムの記事 

Column: Are electromagnetic weapons involved? Taking victims of ‘Havana syndrome’ seriously (by Jean Guerrero)
『電磁波兵器が関わっているのか。ハバナ症候群の被害者を深刻にとらえる』
https://www.latimes.com/opinion/story/2022-02-24/electromagnetic-weapons-havana-syndrome


昨年末に書いた、ちょうど一つ前の記事では、
ハバナ症候群の米国での公的な対処の動きから
BS日テレや読売新聞を始め、日本メディアで
この事件と電磁波兵器等に関する報道が出てきたということ

一方で、未だあるメディアのタブーの一つが
アメリカの安全保障に関する政府職員が受けているハバナ症候群と
米国、日本、世界中の市民がエネルギー兵器被害を訴えている事実を
「決して結びつけてはならない」ということだと説明しましたが

上記リンクのロサンジェルス・タイムの記事は
そのハバナ症候群と市民の被害者の両方を論じている稀有な記事です。

様々なハバナ症候群の説明をしながら
記事の最終的な主張は、
米連邦議会で可決されたハバナ症候群の救済というのは
政府職員とその家族のが対象となっており
それを政府職員以外の一般市民にまで広げて
被害について一括して報告できる場所を設けるべきである
ということであると思います。

記事の著者は、記事の中で書かれているように、
自分の父親がいわゆるTargeted Individual、
つまりエネルギー兵器遠隔攻撃の被害を訴えている人であり
以前にも、市民の被害者を記事にしたことがあります。

記事の最後は、このようなまとめ方です。

Most of their claims may be baseless.
彼ら(=TI、市民の被害者)の主張の多くは証拠がないかもしれない
But the health problems reported by high-ranking officials with no history of mental illness
しかし、精神疾患の病歴のない政府高官の健康被害の報告は
offer evidence that we should not categorically dismiss them.
彼ら(=TI)を分類上無視するべきではないとう証拠を提示している

ここに書かれているように、現在
実際に、市民の被害者の殆どが技術的な不可能さから、
確かな証拠を示すことができていないわけですが、
それを前提にジャーナリストがこの事件を扱うとしたら、
この記事のような形が一つの方法でしょう。

すなわち、ハバナ症候群というものがあり
それを政府に委託を受けたアメリカの主流の科学者たちが
「パルス波による可能性が最も高い」と結論づけた根拠は、
報告される被害や現象が、
今まで学術論文などで科学的に示されてきた電磁波生体効果に
最も一致しているからですね。
そのように彼らの報告には書いてあります。

そうであれば、そのような訴えは政府職員にのみ対象に絞ってしまい
被害を訴える一般人たちを分類上排除すべきいわれわないはずです。
そのような遠隔攻撃被害を訴える一般市民の被害者たちに取材し
この問題を真面目に取り上げる方がいいと社会に訴えることは
今でも、ジャーナリスト、政治家にできるわけです。

そして、それをアメリカ人にだけに限るという必要性もないです。
アメリカ人にだけしか使われない武器というものは存在しないですし
「ほぼ全く同じ現象、同じ手口」の被害を
実際に日本人、そして世界中の一般市民が訴えているのですから

それを日本のジャーナリストが取材し
深刻にとるように訴えることも全く可能である
というよりそうすべきでしょう、ということです。

政治家も同様にヒアリングなどを行ったり
これを深刻にとらえることは
今現在の情報でも十分にできるのです。
深刻にとらえて問題化しなければ、社会の資源を利用して
さらなる情報を集めることもできないのですね。

現在もウクライナ紛争も絡めて、台湾紛争であるとか「可能性を根拠」に
これだけ安全保障が大事だということがメディア中で訴えられながら
実際に今まで累積「何千人という日本人」による
遠隔攻撃被害の訴えを完全に無視している、ということが
安全保障上、人権上、異常であるということに
政治家、メディア人たちは気づいて欲しい、そのように切に思います。

扱えない理由を並べて扱わないのではなく
どうやったら扱えるのか真剣に考えて欲しいです。

これがこの記事で言いたいことのほとんど全てです。

わたしとしては、ジャーナリストや政治家が、情報工作に紛らわされず
起きていることの概要とその背景を理解できる情報を
能力の限りで提示してきたつもりですしこれからも提示するつもりです。

政治家や、ジャーナリズムが前向きに事件を取り扱えば
必用な情報ははるかに多く集まり、
専門家の助けも借りて自体は一気に進む可能性もあります。
そうすれば、多くの訴えがbaseless(根拠なし)という状態ではなくなるでしょう。

たまには、例えば、百年に一回くらいは、
日本人のイニシアティブで世界的な問題を解決してはいかがでしょうか?

是非、一緒にやっていきましょう。

④『マトリックス解読』
http://stopeh.org/wordpress/wp-content/uploads/2022/01/TheMatrixDeciphered.pdf
こちらは、昨年から複数の被害者で協力して
痛みその他色々な妨害を我慢しながら翻訳作業を行い
今年の初めに公開した、エネルギー兵器システムに関する
ロバート・ダンカン博士の書籍です。 

上のリンクは、pdfファイルへのダイレクトリンクで
下のページに、ダンカン博士やこの文書についての
短い説明が書いてあります。
http://stopeh.org/wordpress/?p=1637

上記リンクのページでも説明していますが
博士の類まれな知識、見識をもってしても
この監視・攻撃システムの技術的、社会的詳細の全ての情報を得ることはできず、
その実行加害者組織も含めて、様々な説明には
「推測による部分」も多々あるでしょう。

それでも重要なことの一つは
ハバナ症候群で報告される被害よりさらに高度な技術によると思われる、
一般市民に報告される被害を起こすことのできる
メカニズムの概要の把握に役立つ、
日本語で読むことのできる他に殆どない文献であるという点です。

長い文章ですが、機知と情報に富んだ退屈しない内容だと思いますので
是非、お読みいただきたいと思います。
  1. 2022/03/16(水) 06:41:14|
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silverbullet

Author:silverbullet
この犯罪を知らない方は、周知活動のために運営しているこちらのサイト http://stopeh.org/wordpress/
をご覧下さい


2011年5月に、長く続いていた異様な体調不良が電磁波攻撃によって引き起こされていること、数々の近隣住民による嫌がらせがガスライティングとよばれる一式の犯罪技術であることを知りました。犯罪被害の認識は、2011年5月ごろ、千葉県市川市の集合住宅での集中的な被害によってわかりましたが、その後に得た知識から今までの長く続いてきた症状と状況を分析して、被害が10数年前の大学在学時に始まったと理解しています。
被害が厳しく、市川市内で一度転居し、現在は多摩地区に避難しています。しかし昼夜問わず24時間相変わらず攻撃が続き、この卑劣な犯罪から逃れる方法がないらしい、ということがわかってきました。よって、この見えない巨大な敵と闘うより仕方が無く、犯罪の撲滅のために可能な方法を考えていこうというブログです。
問題解決のためには、法整備、警察、行政に対する圧力など、TI(ターゲッティド・インディビデュアル)と呼ばれる被害者の協力と行動だけでなく、非被害者である無数の一般の方々による認知と手助けが必要不可欠です。
是非このブログに限らず、インターネット上に溢れている無数の被害者の声に耳を傾けて、この卑劣な犯罪の撲滅のために力を貸してください。

お問い合わせはこちらのメールアドレスへ。
info@stopeh.org


この悪魔のごとき犯罪の撲滅と、被害者の救済のため、どうか力を貸してください。

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